尾道太郎は死にました


  やおら物騒なタイトルで始まりました久しぶりの、本当に久しぶりのあとがき。約五年ぶりとなる新作「遺書」をここにお送りすることができました。パチパチパチ。

 このお話を作るきっかけになったのが、「わたしの言葉が腐っていくのがわかる、だからそこに種を植えよう」という言葉に出会ったからです。これ、嫁さんの言葉なんだけどね。

 日々の生活の中で忙殺される感性。もう、前みたく全身全霊をもってお話を書くってのは無理になってきました。時間的にも、気分的にも。だから、尾道太郎的な遺書を書こうかなと思ったんです。多分、もうこの分量のお話は書けないと思ったから。そして、この中途半端な分量とだらだらしたお話が、尾道太郎の(嫌いな言い回しだけど)オリジナリティだと思ったから。

 ちなみに、タイトルは珍しく初めから決まっていました。というより、そういうものとして書くことにしていました。遺書というか遺作というか。ですから、台本という体裁をとりながら、完成度は二の次でした。そもそも、最後のほうは、完成させること自体が目標のようになっていました。

 本当は、大学生向けに少しまともなものを……と思ってはいたんですよ。とか、もうちょっとちゃんと展開するような感じのものをとか、とか。
 で、案の定ぐだぐだになっちゃった。   

 広島カープに前田智徳という選手がいました。天才と称されながらもケガに泣かされ、それでも2000本の安打を放った名選手です。その前田選手がケガで思うようなプレーができなかったときに放った言葉がタイトルのそれです。
 「前田智徳は死にました」

 でも、僕は思うのです。前田選手は「死にました」と言いながらその後何年も第一線でプレーをし続けていました。それがたとえ本人の思うようなプレーでなかったとしても。

 だから、ひょっとしたら尾道太郎も死にながら、どこかでひょっこりとゾンビみたいに顔をのぞかせることがあるのかもしれません。それが、第一線でなくても、それが、僕の思うような台本じゃなくても。


2015/6/26




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