これっきりだから、最後に奇跡を

どうも、上演依頼が来て調子に乗っております。尾道太郎です。相変わらず、社会的にはクズ以下の生活を続けておりますが、とりあえず放っておいてください。

今日は、「雨虹模様」のあとがきです。まあ、あとがきといえども、あとがきらしくないあとがきですが、後に書くから「あとがき」だという屁理屈をこねて、今日もだらだらとのたまいます。

この作品、僕の作品の中でも登場人物が三人と桁外れに少ないので有名です。弱小演劇部の強い味方。というような事は全く考えてはいなくて、ただ、少人数の芝居が書いてみたかっただけです。

まあ、とりあえず登場人物の距離感を洗いなおそうということで、少人数にしたという理由もありますが。それゆえに、三人の関係がシンプルです。

登場人物の三人は問題を抱えていて、病院長の鹿山は病院の閉鎖という問題。看護婦の千葉は妊娠。そして、謎の老人、山口は精神病(?)の問題。それらの問題を、他の二人が新たなキッカケを与えていくという手法をとりました。

ジャンケンみたいな関係性です。鹿山の問題は、山口がキッカケを与え。千葉の問題は、鹿山がキッカケを与え。という風に、個々の問題に対する関係性をシンプルに考えました。

もっとも、実際に出来たものは、こんなにシンプルにはなりませんでしたが。

また、関係性とともに僕がこの話で書きたかったことは、「終わりに見る輝き」についてです。何だろう、甘っちょろいのかどうなのか分かりませんが、「最後だから、できることがある」と思ってしまうのです。

当たり前ですが、「最後だから出来ること」というのはありません。主人公が最後の力を振り絞って……なんていう描写は、振り絞る力が残っている時に言うものです。もともと、力の無い人間に、「最後だから」という奇跡は起きません。

ですが、それでも、思うのです。「これっきりだから、最後に奇跡を」と。もう、芝居をすることが当たり前じゃなくなったときから、毎回のように。

そして、毎回のように奇跡は起きませんでした。当たり前です。この台本のように、雨上がりに虹は、そうそう出てはくれませんでした。それでも、願わずにはいられない時もあるのです。

虹が出ようが、出まいが関係ありません。ただただ、がむしゃらに願いながらやるだけなのです。ですから、鹿山と千葉も、とりあえず「雨を終わらす事」に終始します。だって、少なくとも、土砂降りの中に虹は出ませんから。

と、まあ、中身のあるようで全く無い話をだらだらとしましたが、この話自体も、書き始めが勢いなので、中身は後付けです。

ええ、身も蓋もないですが事実です。




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