「いつもいつも」はそこにある

コンニチハ、あとがきではお久しぶりです。どうも、尾道太郎です。

何の前触れもなく、始めるいつものあとがき。順序もばらばら、キマグレもいいところです。

さて、今回は、初めての上演依頼作品となった『「いつもいつも」をするために』について。

この作品、実は初めて女性キャラが2人出てきます。という事は、今までの作品は女性キャラが1人以下のものばかりだったんですね。

では、どうして、この作品で女性キャラが増えたかというと…簡単な話、当時、女の子といっぱい喋ってたからです。
文芸部の人たちとお知り合いになって、交友の幅が広がったんですね。高校の文芸部が舞台になったのも、そういう理由からです。

というのが、設定での裏話。ですから、殆どのキャラクターモチーフは、当時仲の良かった文芸部員たちです。ですが、創作動機はまったく別のところにありました。

当時、僕は演劇部を引退して一年がたとうとしていました。ふらっと、部室に現われて台本を書いたり、卒論を書いたり…そんな日々を過ごしていました。演劇部は演劇部で、冬公演に向けて忙しそうにしていました。

そして、忙しさの中で、当たり前のようにすれ違いが起きてきました。
一言で言うと、「舞台を作るためには自己犠牲はつき物だ」という意見と、「たかだか大学のサークルなんだから自己犠牲までしてしたくない」という意見のすれ違いです。

要約が下手なので、多少の誤解があるかもしれませんが、了承下さい。

ですが、まあ、そのすれ違いを第三者の側から見ながら、思っていたのです。
「好きっていう気持ちだけで、一緒になれないかなぁ」と。…ええ、甘い考え方です。

まあ、少なくとも「芝居が好きで」集まったわけですから、そこの部分でもう少し何とかならないのだろうかと。
もちろん、なんともならないでしょう。ですが、僕から見た彼等(後輩達)は、やっぱり「好き」っていう、当たり前の前提を忘れているように見えたのです。

もちろん、好きって気持ちだけのダメ芝居を見てると、腹がたちます。でも、惰性でやっているだけの芝居を見ると、悲しくなります。

芝居をすることが当たり前じゃなくなってから、この、言ってしまえば「芝居をする動機」というものを考えるようになりました。もちろん、現役時代のときにも考えた事はあります。それは、「楽しいから」「仲間がいるから」という安易な動機付けでした。

しかし、現役を離れてから、芝居をするためにもっと強い動機が必要になったのだと思いました。「楽しいから」という動機付けでは、物足りなくなったのです。
…そもそも、動機付けをしないと、芝居が出来ないという時点で、向いてないのかもしれませんが。

動機を考えて、考えて、やっぱり見えてきたのは、「好きだから」「楽しいから」という当たり前の前提でした。(結局そこかい)

いつものように、芝居をする。それは「芝居が好きだから」…シンプルなものです。

そのシンプルさの果てに、一等好きな人たちだけが見える幻の場所があると、信じています。それは、無責任な盲信者のように。単位をとり損ねてあえいでいる芝居人のように。

……で、結局、青臭い話になったというのはご愛嬌。


2005/8/10




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