猫の目に映るあたしと馬鹿とクソみたいな生活(仮) 登場人物 棚下敬介 棚下アキ 棚下ミツカ 森笠多香子 1   棚下家のリビング。   ごく普通の家庭のごく普通のリビングと同じ。猥雑とした空間。   そこら中に生活の匂いという奴が充満している。   ちゃぶ台が置いてあり、一つだけ不自然な低めのいす。   トイレのほうから、おばあさんのうめくような声がする。   洗濯物をたたんでいるアキ。ふと、 アキ  (トイレに向かいながら)おばあさん、出た? ミツカ(声)  あ… アキ(声)  出たね?おお、ようけえ出しとるわ。 敬介(声)  ただいま アキ(声)  お帰り。ねえ、みてみて。 敬介(声)  何?姉ちゃん。 アキ(声)  ウンチ   敬介、あきれながらリビングに入ってくる。   荷物を降ろしたり、上着をかけたり… 敬介  (呟く)くだらん事で呼ぶなっての。 アキ(声)  早かったね。 敬介  何が? アキ(声)  帰り。 敬介  そりゃ早いよ。 アキ(声)  早いの? 敬介  面接三分。 アキ(声)  それは早い。 敬介  腹減った。昼飯は? アキ(声)  鍋に、昨日の残りがある。 敬介  カレー? アキ(声)  カレー   敬介、おもむろに立ち上がり、出かける準備。   そこへ、ミツカの手を引いてアキが入ってくる。 アキ  どこ行くの? 敬介  飯、食いに。 アキ  すぐ出来るけど? もうお鍋火にかけとるし。 敬介  カレー以外のものを、食いに。 アキ  カレーうどんも出来るけど? 敬介  カレー以外って言っとるじゃろ。 アキ  もったいない。 敬介  そう思うんなら、食事前にばあちゃんのウンコ見せんといてください。 アキ  誰も食えって言っとらんじゃろうが 敬介  食わんよ。 アキ  ほら、すぐ準備するから、そこ座って。 敬介  いいって アキ  もったいないじゃろ 敬介  いいって アキ  もったいない 敬介  いい… アキ  もったいなーい、 敬介  何?それ。 アキ  もったいないお化け。 敬介  そんな、声やった? アキ  分からん。   アキ、台所に消える。   ミツカ、いつの間にかいすに座っている。 敬介  そういえばさ アキ(声)  何? 敬介  昔、究極の選択ってなかった? アキ(声)  あった。 敬介  ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ、食べるならどっちってヤツ。 アキ(声)  やめえや、食事前にそんな話。 敬介  どっち? アキ(声)  何が? 敬介  もし食べるなら、どっち? アキ  (やってきて)下らん事聞く暇があったら手伝え。 敬介  はいはい。 アキ  カレーとカレーうどんが出来るけど、どっち食べる? 敬介  カレー。 アキ  おばあさんは?カレー? ミツカ ええわ… アキ  カレーうどん? ミツカ ええわ… アキ  お昼、食べんといけんでしょうが。 ミツカ ウンコ味のウンコじゃなかったら、どっちでもええ… アキ  …カレーうどん作るね。 ミツカ (曖昧に頷く)あ…   アキ、再び台所へ。   敬介、台所とリビングの往復。スプーンを並べたりお茶を用意したり。 敬介  姉ちゃん、仕事は? アキ(声)  遅番。 敬介  介護福祉も大変じゃねえ。 アキ(声)  おかげで、今やおじいちゃん達のアイドル。 敬介  そして婚期は延びていく、 アキ(声)  うるさい。 敬介  昔は、「二十歳になったら結婚するけえ」って言ってたのに。 アキ(声)  小学校のころの話しでしょうが。 敬介  二十歳になるまで言ってたでしょうが。 アキ(声)  … 敬介  (置いてあるブラジャーを手に)こんなブラジャーしてたら、男も寄ってこん。 アキ(声)  それ、おばあさんの。 敬介  うそ。 アキ(声)  うそ… 敬介  そっからこっち見えるわけないじゃろ。 アキ(声)  でも、姉ちゃんだっていい人の一人や二人や三人や… 敬介  一人で充分じゃろうが。 アキ(声)  彼氏だっておるんじゃけえ。 敬介  何?自慢? アキ(声)  浮気相手だっておるんじゃけえ。 敬介  … アキ(声)  付き人だって、奴隷だって、執事…(チャイムの音)はーい。   アキ、玄関に行く。   敬介、手にしたブラジャーをおもむろに振り回す。被ってみたり、ヘリコプターの真似とかしてみたり、 多香子(声) こんにちは。 アキ(声)  タカちゃん、どうしたの? 多香子(声) 村上さんの送迎が終わったけえね。ちょっと、サボり。 アキ(声)  珍しいね。 多香子(声) 気分転換。上がっていい? アキ(声)  え? 多香子(声) おじゃまします。 アキ(声)  いや、ちょっとちらかっとるけえ、ちょっとどころじゃなくちらかっとるけえ、ちょっと!   多香子入ってくる。   多香子、敬介と眼が合う。敬介、ブラジャーを被ったまま会釈。   入ってくる、アキ 多香子 お邪魔しました。 アキ  あのね、たかちゃん。 多香子 大丈夫だから。 アキ  大丈夫って何が? 多香子 動揺してるわけじゃないから。嘘だと思うんなら、問題出してみ? アキ  一足す一は? 多香子 ブラジャー アキ  … 多香子 違うのよ、ちょっと簡単すぎたけえ拍子抜けしただけじゃけ。     もう少し難しい問題じゃったら丁度良かったんよ。 アキ  32×13=? 多香子 (しばし考えて)ブラジャー? アキ  … 多香子 違うのよ。 アキ  何が違うの? 多香子 これはその、勢い余って アキ  余ってるように見えんかったんじゃけど。 多香子 いや、そう見えるようで実は勢い余っとったんよ アキ  あー、それでつい本音が 多香子 ポロってね、じゃなくて、本当に見てないから。 アキ  何を? 多香子 生きてるんじゃけえね。奇麗事ばかりじゃ済まされんよね。 アキ  はあ… 多香子 だから一言だけ言わせて、 アキ  何? 多香子 ガンバルンバ。   多香子、妙なテンションのまま去っていく。   アキ、追ってはみるが、すぐに諦めて戻ってくる。   敬介、被っていたブラジャーを目のところに持っていく。 アキ  バカ! 敬介  誰?あの人。 アキ  友達。 敬介  名前は? アキ  タカちゃん 敬介  フルネーム アキ  森笠多香子って、なんでそんなこと聞くの? 敬介  歳。 アキ  何で? 敬介  誕生日。 アキ  何で? 敬介  ブラッドタイプ。 アキ  AB型 敬介  二重人格? アキ  どうだろう。 敬介  好きな食べ物。 アキ  何でも良く食べるけど? 敬介  好みのタイプ。 アキ  マッチョ。 敬介  ブラジャーの色。 アキ  … 敬介  今日のお昼御飯。 アキ  カレー。 敬介  この匂いは? アキ  カレー。 敬介  ちょっと焦げ臭いのは? アキ  カレー!   アキ、台所に走る。   ミツカ、テレビを見ている。   敬介、でかける準備。 アキ  ガスの火くらい止めてくれればええのに。 敬介  さっき気付いたんじゃもん。 アキ  全滅よ。 敬介  なんか買ってくるけど、リクエストある? アキ  ウンコ味のウンコじゃなかったらなんでもええ。 敬介  あっそ。 アキ  あと、饅頭買っといて。 敬介  太るよ。 アキ  食わんよ。備えるだけじゃけえ。 敬介  備えた後、食うじゃろ? アキ  父さん、母さんが食ってくれるわ。 敬介  もう20年か。 アキ  ほら、はよ、行ってき。   敬介、鼻歌を歌いながら出て行く。   アキ、嘆息して洗濯物をたたみ始める。 ミツカ …ミチコ アキ  ウチはアキ。ミチコはお母さんの名前じゃろ? ミツカ あ…(と、物欲しそうなしぐさ) アキ  お腹すいたん? ミツカ … アキ  もうすぐ、敬介がなんか買ってくるけえ。     もう少し、辛抱してえや。 ミツカ あ…(と、曖昧にうなずく) アキ  本当にわかっとんかねえ。   洗濯物をたたみ続けるアキ。   ふと、 アキ  ねえ、ばあちゃん。どう思う? ミツカ  ? アキ  敬介。あれやっぱ、あれかねえ。 ミツカ  ? アキ  ハートをわしづかみってやつかね。 ミツカ  ? アキ  ブラジャーの色まで聞いとるんじゃもんねえ。 ミツカ  あ… アキ  そのうち胸のサイズまで聞いてくるんじゃなかろうか?     どんなんが好みなんかねえ。敬介は、     やっぱ大きいほうがええんじゃろうか?あぁ、たかちゃん小振りじゃけえねえ。何て答えちゃろうか。     「サイズはあんまりないんじゃけどね、形は一級品なんよ」とか? ミツカ … アキ  「恥ずかしがりやじゃけえ、ちょっと隠れとるんよ」とか 敬介  どこに? アキ  そりゃ、胸の下とか横とかに分散して…(振り返る)おうあぁ! 敬介  そんな驚かんでもええじゃろ。 アキ  昼御飯は? 敬介  買ってない。 アキ  何で? 敬介  財布、忘れた。 アキ  なんじゃそりゃ。 敬介  帰ってきたら姉ちゃんが意味不明な独り言をぼやいとった。 アキ  どっから聞いとったん? 敬介  たかちゃん小振り。 アキ  たかちゃん小振り。 敬介  何カップ? アキ  え? 敬介  たかちゃん小振り。何カップ? アキ  え? 敬介  A? アキ  ええ。 敬介  A…(少し落胆) アキ  Bかも。 敬介  ええ!? アキ  やっぱり、A。 敬介  … アキ  やっぱり? 敬介  何が? アキ  たかちゃんに「ほ」の字? 敬介  その言い方、どうなん? アキ  言い方なんて関係ないじゃろうが。     どうなん、どうなん? 敬介  しつこい。 アキ  どうなん、どうなん? 敬介  北海道の南っ側? アキ  え?函館?   敬介、財布を取って出ようとする。 アキ  ちょっと、どうなんよ。 敬介  だから何が? アキ  たかちゃんの事。 敬介  うん。 アキ  惚れとるん? 敬介  飯、買いに行ってくる。 アキ  出前取ろう。 敬介  もったいない。 アキ  ほいじゃったら、ちゃんと言いや。 敬介  何を? アキ  惚れとるん? 敬介  出前取ろう。 アキ  もったいない。 敬介  ええけえ、電話かえぇや。 アキ  村上食堂? 敬介  村上食堂。 アキ  早い、安い、まずい、の? 敬介  すぐ持ってきてくれる。「お待ち」って。 ミツカ お待ち…   アキ、敬介、ミツカのほうを見る。 ミツカ ウンコ味のウンコ。   アキ、敬介、呆然とミツカの股間を眺める。   ミツカ、へらへらしている。   暗転 2   敬介、一風変わった筋トレをやっている。   ミツカ、へらへらとしている。テレビを見ているようだ。   しかし、テレビには何も映っていない。   アキが手に買い物袋を提げて帰ってくる。 アキ  ただいま。 敬介  お帰り。 アキ  饅頭買ってきた。 敬介  備えるヤツ? アキ  そう。父さんと母さんにしっかり食べてもらわんと。 敬介  そして、姉ちゃんが太っていくと。 アキ  うっさい。 敬介  なあ、姉ちゃん。老人ホームのパンフとかいる? アキ  また、その話ね。いらん言うとるやろ。ちり紙交換に出しとき。   そのまま、ばたばたと台所に駆け込むアキ。   荷物を冷蔵庫に入れている様子。 敬介  無理やろ… アキ(声)  何、しようるん。 敬介  見て分からんか? アキ(声)  見えんわ。 敬介  オギノ式よ。 アキ(声)  妊娠でもしたん? 敬介  え? アキ(声)  オギノ式じゃろ? 敬介  あ、いや、タカノ式じゃった。 アキ(声)  そんなんやって、ボディービルダーにでもなるつもり? 敬介  それも悪くない。 アキ(声)  馬鹿なこと言っとらんで、さっさと働きいや。 敬介  働いとるわね。 アキ(声)  アルバイトじゃろうが。 敬介  アルバイトでも、働いとるわ。 アキ(声)  ウチの施設で職員募集しとるけど? 敬介  「てご家」? アキ(声)  これであんたもおばあちゃん達のアイドル! 敬介  職種は? アキ(声)  清掃作業員。 敬介  パス アキ(声)  今なら、漏れなくタカちゃんとのオフィスラブが付いてきます。   敬介、おもむろに履歴書を探し始める。   アキ、台所での用事を終えて、リビングへ。 アキ  ええじゃんええじゃん、オフィスラブ。     「いつも、清掃ご苦労様」     「いや、あなたが快適に働ける環境を作るのが俺の仕事っすから」…ハズカシー!     何、探しとるん? 敬介  何も探しとらん。 アキ  履歴書なら、そこの棚の上に 敬介  ありがと。 アキ  うっそぴょーん。 敬介  …… アキ  ホンマ、分かりやすいんじゃけえ。ねえ、ばあちゃん。 ミツカ あ… 敬介  うっさい。 アキ  タカちゃんのどこがええん? 敬介  うっさい。 ミツカ どこや? 敬介  ばあちゃんまで、 ミツカ トイレ。 二人  ……   ミツカ、もぞもぞしている。 アキ  トイレ? ミツカ あ… アキ  分かった、あんた、ばあちゃん連れてきて。 敬介  うん。   アキ、紙おむつを手にトイレへ。   敬介は、ミツカの手をとって、 敬介  ばあちゃん、立てるね? ミツカ あ… 敬介  手を持っとるけえ、ゆっくり、ゆっくり、ちいと段差あるけえね。   敬介、ミツカをトイレへ。 アキ(声)  そういえばね。 敬介(声)  うん。 アキ(声)  今日、来るよ。タカちゃん。 敬介(声)  うん。 アキ(声)  ほら、ばあちゃん、座って。 敬介(声)  うん。 アキ(声)  あんたじゃなかろう。あんた座ってどうするん? 敬介(声)  ごめん。 アキ(声)  ほいじゃけ、ちょっとあんた、片付けといて。 敬介(声)  何で俺が? アキ(声)  じゃあ、ばあちゃんのケツ、拭きいね。ウチ、片付けるけえ。 敬介(声)  片付けます。   敬介、あわててリビングに駆け込む。   ブラジャーなどをとりあえずたたむ。パンティーもたたむ。至極丁寧にたたむ。 敬介  (下着の色)ベージュ。 アキ(声)  まだね?おばあさん。 敬介  (下着の色)白 アキ(声)  今日はよう粘るね。(チャイムの音)はーい。 敬介  豹柄?   敬介、豹柄のパンティをしげしげと眺める。 多香子(声) ちょっと、早かったかね? アキ(声)  そうでもないんじゃけど、 多香子(声) あ、これ、ケーキ。 アキ(声)  ありがと。ちょっと今、片づけ中で。 多香子(声) (聞いてない)これは、苺。 アキ(声)  ありがと。 多香子(声) (聞いてない)じゃあ、おじゃまします。 アキ(声)  じゃけえ、片付け中って!   敬介、豹柄パンティをしげしげと眺めている。   そこへ、多香子が入ってくる。固まる空気。 敬介  ガオー(意味不明)   さらに固まる空気。   そして、アキが入ってくる。 アキ  ワオ。 敬介  ワオ… 多香子 お邪魔しました。 アキ  あのね、違うの、これはね。 多香子 大丈夫だから、 アキ  だから何が大丈夫なん? 多香子 人間だもの。 アキ  え? 多香子 人間だもの、色々あるわよ。嘘だと思うんなら問題出してみ? アキ  やめとくわ 多香子 そうしたほうがええね。 アキ  うん。 多香子 頑張ってね。 アキ  何を頑張るん? 多香子 ナニを。 アキ  はい? 多香子 ナニ言ってるんだろう。 アキ  とりあえず、水、飲む? 多香子 とりあえず、水、貰っていい? アキ  そうしぃ。   アキ、水を汲みに台所へ。   敬介、パンティーを持ったまま、軽く会釈。   多香子もつられて会釈。   アキ、水を持ってくる。 アキ  弟なんよ。 敬介  弟です。   と、再び会釈。   多香子も再び会釈。   アキ、多香子に水を渡す。多香子は、それを一気に飲み干す。   未だに、パンティーを持ってる敬介。 アキ  あんたも、それ、 敬介  あ、うん。 多香子 ずいぶん、派手なアレね。 アキ  ばあちゃんのヤツね。 敬介  え? アキ  え? 敬介  ばあちゃんのです。 アキ  そう。ばあちゃんのヤツ。 多香子 どんなに年取っても、女なんだねえ。 ミツカ(声)  あ… アキ  あ…   アキ、「はいはい、今行く。」と言いながらトイレに向かう。 敬介  あは。 多香子 あは。 敬介  始めまして。 多香子 始めまして。 敬介  姉の弟です。 多香子 その姉の友人です。 アキ(声)  その自己紹介、どうなん? 敬介  聞こえとったん? アキ(声)  じょっぱり(意味不明) 多香子 じょっぱり? アキ(声)  気にせんといてや。ほら、せっかくじゃけえ名前の一つでも、 敬介  敬介です。 多香子 森笠 敬介  多香子さん。 多香子 はい。でも、どうして? 敬介  話の展開上、ポロッと。 多香子 ポロッと? 敬介  あまり気にせんといて下さい。 多香子 はあ。 敬介  ご趣味は? 多香子 趣味ですか? 敬介  趣味です。 多香子 無いですね。 敬介  無いですか。 多香子 仕事が忙しくって、趣味どころじゃないです。 敬介  お忙しいですもんね介護福祉。 アキ(声)  ばあちゃん。 多香子 こういう仕事でしょ?休みなんて、あって無いようなものですから。 敬介  はあ、 多香子 夜勤明けの休みなんて、寝てるだけですし。 敬介  そうなんですか。 多香子 職場環境は悪いですし。 敬介  悪いんですか? 多香子 三Kってしってます? 敬介  三三振の事ですか? 多香子 臭い、汚い、給料安い。 敬介  ああ。 多香子 おまけに体力は要るし、精神力も要りますからね。 アキ(声)  でたね?…ワオ。 敬介  ちょっと行ってきます。 多香子 はい? アキ(声)  ちょっと、敬介。こっち来ぃや! 敬介  はいはい。   敬介、トイレへ行く。 敬介(声)  また? アキ(声)  また。すごいの。 敬介(声)  ばあちゃんのウンチ、弟に見せて楽しい? アキ(声)  そうでもない。 敬介(声)  じゃあ、呼ばんで。 アキ(声)  うひひひひ…   敬介、リビングに戻ってくる。 敬介  職場でもあんな感じですか? 多香子 えっと、アキちゃん? 敬介  アキちゃん。 多香子 違いますけど。 アキ(声)  もっと真面目よ。 多香子 もっと真面目です。 アキ(声)  気配りもするし。 多香子 してます。 アキ(声)  施設内一の美人って言われとるんじゃけえ。 多香子 … 敬介  素直な人なんですね。 多香子 それだけが、とりえです。 アキ(声)  をい。 敬介  庭でも散歩しましょうか? 多香子 庭? 敬介  ウチでは、ベランダの事を庭と呼んでます。 多香子 はあ。 敬介  さ、どうぞ。   と、言ったとたんタイミングよく夕立。 敬介  お茶、入れてきます。   敬介、台所へ。   アキ、ミツカを連れてリビングへ。 アキ  ごめんね。ばたばたして。 多香子 ううん。ちょっと、寄っただけじゃけえ。 アキ  ほら、ばあちゃん。 多香子 もうそろそろ、お暇しようかね。 アキ  今来たばかりじゃろ? 多香子 うん。じゃけど、今日は。 アキ  ホンマ、ごめんね。 多香子 ええんよ。 アキ  何か用事でもあったんじゃない? 多香子 用事言うほどの事じゃないけえね。また明日お邪魔してもいい? アキ  構わんよ。 多香子 ケーキか何か買うて来るけえ、お茶でもしようよ。 アキ  そんな気い使わんでもええのに。   といったやり取りをしながら、二人は玄関口へ。 アキ(声)  じゃあ、また明日寄って。 多香子(声) うん。そうするけえ。 アキ(声)  じゃあね。 多香子(声) じゃあ。   敬介、お茶を二つ用意して持ってくる。   多香子が出て行ったのを台所で聞いていたらしい。用意したお茶がむなしい。 敬介  ばあちゃん、飲む? ミツカ ええわ。 敬介  姉ちゃん。お茶、飲む? アキ(声)  ええわ!   敬介、お茶を二つとも一気飲み。   そして、台所へ。   暗転。 3   リビングにて、ミツカは相変わらず、ブラウン管を眺めている。   と、ばたばたとアキと多香子が入ってくる。 多香子 ごめんね、毎度毎度お邪魔して。 アキ  ええんよ。 多香子 昨日は、またタイミング悪くて。 アキ  こっちも、ばたばたして、ごめんね。 多香子 いやいや。それにしても、線香の匂いすごいねぇ。 アキ  もうそろそろ、命日じゃけえ。 多香子 両親の? アキ  うん。じゃけえ、出血大サービス。 多香子 いつもより多めに焚いとんじゃ。 アキ  そんで?今日はまた、どうしたん? 多香子 ちょっと、聞いて欲しい事があって。 アキ  恋、しちゃったん? 多香子 違うよ。 アキ  何ねぇつまらん。タカちゃん若いんじゃけ、浮いた話の一つや二つあっても面白い思うんじゃけどね。     駅前で声かけられるとか? 多香子 駅前じいさんばあさんしかおらんじゃろ? アキ  じゃあ、駅員さんに声かけられる方向で。 多香子 駅員さんもええ歳じゃった思うけど。 アキ  じゃあてご家に面会に来た家族の孫! 多香子 ありえんから。 アキ  なんね、つまらん。じゃあ何なん? 多香子 辞めようと思うんよ。 アキ  仕事? 多香子 仕事。 アキ  どうして? 多香子 どうしてじゃろ。 アキ  ウチに聞かれても分からんわね。何がいけんかったん? 多香子 何が言う事でもないんじゃけどね。 アキ  ありていに言えばキッカケよ。 多香子 キッカケ言うんなら、多分ウンコじゃね。 アキ  ウンコ? 多香子 ウンコ。富田さんのウンコ。 アキ  ああ、富田のおじいちゃん。 多香子 それをね、臭いって思ったんよ。 アキ  臭いでしょ? 多香子 それが、ちょっとやそっとの臭さじゃなかったんよ。     それで、「うっ」って思ようったら、手えあわせて、「ごめんね」って言われた。 アキ  吐いた? 多香子 吐くほどじゃないんじゃけどね。どうかしたん? アキ  いや。 多香子 何かなぁ。ウチ、嫌になったんよ。 アキ  何が? 多香子 ウチもそんな風に死んでいくんかなぁって思うたら。 アキ  本当に、それで辞めるん? 多香子 んにゃ、実際の所分からん。じゃけどこの仕事、重労働の割りに給料安いし。     拘束時間はまちまちじゃし。 アキ  うん。 多香子 そんな事考えよったら、何だかしんどくなった。 アキ  ほぉね。 多香子 しんどいから甘いもん食べたくなったんよ。 アキ  それでケーキ。 多香子 一人で食べると寂しい女みたいじゃけえ。一緒に食べようと思って。     ウンコの話した後に食べるのもどうじゃろうって思うんじゃけど。 アキ  まあね。何、買って来たん? 多香子 チョコレートケーキとモンブラン。 アキ  よりにもよって? 多香子 まさか、ウンコの話するとは思わんかったんよ。 アキ  まあね。 多香子 おばあさんの分もあるんよ。 アキ  わざわざ、ありがと。 ミツカ アリガト… アキ  ばあちゃん、どれがいい? ミツカ 「うにゅう」てなっとんの… アキ  これ? ミツカ あ… アキ  コーヒー入れてくる。 多香子 あ、手伝うよ。 アキ  ええよ、インスタントじゃし。 多香子 ええって。   アキ、多香子、台所へいく。   ミツカ、よろよろと立って、ケーキを持って、トイレへ… 多香子(声) やっぱり、大変? アキ(声)  何が? 多香子(声) おばあちゃんの介護。 アキ(声)  これでも介護のプロですよ? 多香子(声) ほうじゃったね。 アキ(声)  忘れとったん? 多香子(声) んや、聞いてみただけ。 アキ(声)  砂糖とミルク入れる? 多香子(声) ミルク入れて頂戴。 アキ(声)  一つ、二つ? 多香子(声) ミルク二つも入れてどうするの? アキ(声)  ウチ、入れるよ。   アキと多香子、アイスコーヒーを持ってくる。   が、ケーキが無いことに気付く。 二人  まさか…   といって、トイレに走る。 二人(声)  あ… ミツカ(声) あ…   多香子、とぼとぼと、入ってくる。   アキ、ミツカを連れて入ってくる。 アキ  ごめんね。 多香子 ええんよ。ウンコみたいなもんじゃけえ。 ミツカ ウンコじゃったん? アキ  ばあちゃんは黙ってて、 多香子 ええんよ。安もんじゃし。 アキ  安もんじゃったん? 多香子 え?あ… アキ  あ、そのね。条件反射っていうか、ほら、 多香子 分かる分かる。 アキ  何が? 多香子 条件反射。 アキ  でも、条件反射じゃったら、ウチ、さもしい人間みたいじゃね。 多香子 ハハハ… アキ  ウチ、真面目よ? 多香子 …ごめん。 アキ  真面目ついでに言うけどね。 多香子 うん。 アキ  辞めんときいや。仕事。 多香子 え? アキ  辞めんとき。 多香子 でも、 アキ  そんな、ウンチくらいで辞めんとき。そりゃ、臭い汚い給料安いの三重苦かも知れんけど。     でも、ウチらだってそんな大層な人間じゃない。 多香子 … アキ  ウンチ臭いのはお互いさまじゃろ?   黙りこむ多香子。嘆息するアキ。   猫の鳴き声がする。 アキ  半年くらい前にね。ばあちゃん、すごい便秘起こしてね。     これでもかって言うくらい頑固でね。下剤も浣腸もきかんのんよ。     どうしたと思う? 多香子 どうしたん? アキ  掻き出した。指突っ込んでね。 多香子 でも、 アキ  うん、「痛い」「やめてくれ」「鬼」「悪魔」散々言われた。     でもね、そのままにしとくわけにもいかんから、無理やり掻き出した。     これが、臭いんだわ。そんじょそこらのゲロよりも臭いんじゃないかって言うくらい臭いんよ。     じゃけえ、吐きもってね、掻き出した。 多香子 … アキ  そりゃもう、阿鼻叫喚の世界よ?     三日三晩、悪臭が消えんかった。 多香子 …それでも、ウチはアキちゃんと違うけえ。 アキ  ほうじゃね。 多香子 …怒っとる? アキ  何で? 多香子 顔が怖いけえ。 アキ  (笑顔になる) 多香子 口元が笑ってない。 アキ  (口元を吊り上げる) 多香子 目じりのしわが多い。 アキ  うっさい。 多香子 ありがと。聞いてくれて。 アキ  どういたしまして。 多香子 うん。じゃあ、 アキ  もう、帰るん? 多香子 うん。ほいじゃあね。   多香子、そそくさと帰る。   見送らないアキ。   敬介が入ってくる。 敬介  来とったんじゃね。タカちゃん。 アキ  うん。 敬介  何、怒っとるん? アキ  やっぱり、顔が怖い? 敬介  そりゃ、今に始まったことじゃなかろうね。 アキ  … 敬介  おー、コワ。 アキ  どうじゃった? 敬介  何が? アキ  行ったんじゃろ?職安。 敬介  おお…行った行った。 アキ  …どうじゃった? 敬介  うん。まあまあ。 アキ  パチンコ。 敬介  ちょっと台の調子が…あ   敬介、出て行く。 アキ  まったく。 ミツカ  ええわ。 アキ  何が? ミツカ  パチンコ。 アキ  良くないわね。働きもせんと、ふらふら遊びほうけてからに…     あ。もうこんな時間じゃ。     今日、晩御飯何がいい? ミツカ  白い御飯。 アキ  うん、じゃあ、白い御飯ね。   と、適当な返事を返してアキは台所へ。   ミツカ、ぼそぼそと喋りだす。何も移ってないブラウン管に向かって。 ミツカ  白い御飯、なかったんよ。毎日毎日、南瓜の汁。南瓜の汁ゆうても、実なんて入っとりゃせんのんじゃけえ。      こんな話聞いて、どうするん?…平和学習?最近の学校は、そんな事をやりょうるんじゃ。      アキちゃん。ほら、起きんと、学校遅れるで。歯あ磨いて、ウンチして、御飯食べて。      ウンチはええわ、便所が大洪水じゃけえ。大洪水は、便所じゃなくてばあさんの方か。      …しんどいねぇ。ばあさんの世話。面倒かけて、ごめんねぇ。      ウンチ、くそう無い?      臭くても、毎日、歯あ磨いて、ウンチして、御飯食べて。ウンチして、歯あ磨いて、ウンチして、御飯食べて、ウンチして…      …ありがとう。ごめんねぇ。 いつの間にか、夕焼けが濃くなっている。 ミツカ、暫く放心している。 ミツカ  ついでといったら、何じゃけど…      お待ち、ウンコ味のウンコ。 ミツカ、やっぱりへらへらしている。 暗転。 4   数日後。アキとミツカがリビングにいる。   アキは出かける準備。タオルとか週刊誌とかタオルとかカバンに詰めたりする。   ミツカは、微妙な笑顔でブラウン管を眺めるが、そこには何も映ってない。   敬介が帰ってくる。 敬介  ただいま アキ  お帰り。 ミツカ  お帰り。 アキ  どうじゃった? パチンコ。 敬介  そう毎日、パチンコいきゃあせんわ。 アキ  じゃあ、職安行ったん? 敬介  そういうことじゃね。 アキ  耳に赤ペン刺して言っても、説得力ないわ。 敬介  あ…   と、耳のペンをポケットに押し込む。 ミツカ あーあ アキ  ホント、いいかげんどうにかしいや。今流行のニートかなんか知らんけど、 敬介  アルバイターはニートって言わんのんよ。フリーター。 アキ  馬鹿言わんと働きいや。 敬介  じゃけえ、働いとるじゃろ? アキ  正社員で。 敬介  その正社員の姉ちゃんは、仕事は? アキ  今からでるよ。仕度しょうるじゃろう? 敬介  仕度ゆうて何を仕度することがあるん? アキ  荷物まとめたりとか。 敬介  荷物言うてもそんなにないじゃろう。 アキ  あるんよね、タオルとかタオルとか週刊誌とかお菓子とか案山子とか、 敬介  案山子? アキ  農家やっとった人が多いけえね。案山子飾っとくと喜ぶんよ。 敬介  なんとまあ。 アキ  それに、着替えもせにゃいけんじゃろ? 敬介  着替えいうても、姉ちゃんいつもジャージじゃん。 アキ  ジャージにもいろいろあるんよ。仕事着やら部屋着やら。それに、外行く時はちゃんと余所行き着ていきょうるでしょう。 敬介  仕事なんじゃけ、すぐ着替えるのに。 アキ  そういうところを横着しだしたらあぶないんよ。じゃけえ、化粧もしょうるんじゃけえ。 敬介  誰も見んのに? アキ  同僚のおばちゃん連中が見てくれるわ。 敬介  すぐ落ちるのに? アキ  それが、女なんよ。なんて、知ったかぶって言ってみたりして。 敬介  アホくさ…… アキ  言うても化粧大事なんよ。80過ぎのおばあちゃんだって、口紅塗ってあげると喜ぶんじゃけえ。 敬介  そんなもん? アキ  そんなもんなんよ。全く女心いうのが分かっとらんね。     90過ぎのおじいちゃんだってね、おっぱい触らせてあげると喜ぶんじゃけえ。 敬介  それは、タダの色ボケじゃと思うけど。 アキ  女はいつまで経っても女、男はいつまで経っても男言うことよ。 敬介  そんなもんなんかね。 アキ  あんたがそんなパープリンじゃけえ、彼女も出来んのんよ。 敬介  うわ、パープリンって久々に聞いた。 アキ  アホ。 敬介  そんな、アホアホ言いなんな。大丈夫よ、もうじき出来るわ。 アキ  あんた、マジでタカちゃんいくつもり? 敬介  まだ名前出してないんじゃけど。 アキ  タカちゃんじゃろ? タカちゃんに決まっとる。タカちゃん可愛いもんね。     ウチももう三つ若かったら、ええ勝負するんじゃけどねぇ。惜しい、実に惜しい。 敬介  ほれ。 アキ  なんよ? 敬介  姉ちゃんの成人式の時の写真、そこにあるじゃろ。よう見てみいや。 アキ  失礼じゃね、まったく。   アキ、いつの間にか始めていた化粧が終わる。 アキ  ちなみにタカちゃんね、「甲斐性のない男って最低だ」っていっとったよ。 敬介  職安行ってくる… アキ  出たらお菓子系貰ってきてね。 敬介  あいよ……あ アキ  また、パチンコじゃね。 敬介  職安、行ってきます。   敬介、出て行く。 アキ  まったく、何考えとんのやら…… ミツカ あ…… アキ  ばあさん、どしたん? ミツカ 紅。 アキ  ああ、口紅? 塗ってあげようか? ミツカ ん(と、唇を突き出す) アキ  あんまり、唇突き出されると塗りにくいんじゃけど。 ミツカ ん(と、さらに唇を突き出す) アキ  じゃけえ、唇突き出されたら……ま、ええか。   アキ、ミツカに口紅を塗ってあげる。 アキ  どうするつもりなんかねぇ、あの馬鹿は。自由気まま言うたら聞こえいいんかも知れんけどね。     ありゃあ、ばあさん甘やかせ過ぎじゃったんよ。そう思うじゃろ。   ミツカ、無反応。嘆息するアキ。猫の鳴き声が聞こえる。 アキ  あんね、ばあちゃん。タカちゃん辞めるんやって。ウンチ臭いけぇ辞めるんやって。     臭い汚い給料安いけえ辞めるんやって。     毎日、爺さんばあさんの世話ばぁで彼氏できんけぇ、辞めるんやって。     馬鹿にしとるよね? 絶対馬鹿にしとるよ。ほんなら、ウチだって……   アキ、口紅を塗る手がすべる。 アキ  ウチだってねぇ……   アキ、口紅を塗る手が大きくすべる。   そのまま、でたらめな所に口紅を塗っていく。 アキ  ウチだって…… 敬介(声)  ただいま。   アキ、我に返る。あわてて口紅をしまう。   敬介、入ってくる。 アキ  なんね、職安行ったんじゃなかったん? 敬介  なんねって、そりゃこっちの台詞よ。なんなん?ばあちゃんの顔。 アキ  あ… 敬介  アフリカの少数民族みたいな。 アキ  ちょっと手が滑っただけよ。 敬介  ちょっと滑っただけで、そんなんならんじゃろ。 アキ  うっさいねぇ。 敬介  姉ちゃん。 アキ  なんよ。 敬介  ばあちゃんな、てご屋に入れてもええと思うんじゃけど。 アキ  またその話ね。思い出したように何べんも何べんも…ええ加減にせんと怒るよ。 敬介  別に、ずっと言うわけじゃなくてもよ。週に一日くらいは預けてもええと思うんじゃけど。     そんくらいなら誰も文句言わんし アキ  あんた、ウチが文句言われるのが嫌じゃけえ、預けんと思っとん?     文句言う人間なんて、誰もおりゃせんじゃないね。口出せる親戚連中がおったらウチらが面倒みとらんでしょ。 敬介  姉ちゃん、真面目すぎるんよ。 アキ  真面目な事ないわね。これが、当たり前なんよ。 敬介  当たり前の事で疲れたら、意味ないじゃろう。 アキ  疲れるいうて誰がね? 敬介  姉ちゃん、最近疲れとる。 アキ  疲れとることないわね、この通りよ。 敬介  その通りを見てから疲れとる言うとるんよ。 アキ  …… 敬介  何で預けんのん? アキ  ……意地じゃね。 敬介  なんね、意味分からん。 アキ  あんたには分からんよ。一生分からん。 敬介  それで満足なん? アキ  …… 敬介  仕事でもウチでも介護福祉してからに、それで姉ちゃん満足なんね?     夜勤明けでばあさんの世話して、遊びもせんと律儀に家と仕事行ったり来たりして。     じゃけえ、ろくすっぽ彼氏も出来んと、 アキ  人の事言えた義理か。あんたも仕事もせんとブラブラしてからに、それで人に意見できる口か? 敬介  ほいなら、俺が働けばばあちゃん預けるね? アキ  おうおう、どこにでも預けちゃるよ。広銀でも中銀でも郵便局にでも。そん代わり、ちゃっちゃか利子つけぇよ。 敬介  利子でも何でもつけてやるわ。 アキ  そんな大きいこと言って、まさか口だけ言う事はなかろうね? 敬介  そんな信じれんのなら、今すぐ履歴書持ってきいや。この場で書いたるけえ。 アキ  はい、履歴書! 敬介  早! アキ  履歴書書く言うて、あてもくそもないのによう言うわ。 敬介  あてがあるけえ、履歴書書きようるんよ。 アキ  どこね。 敬介  てご屋。清掃作業員募集しとるんじゃろーが。 アキ  残念やったね、今ならもれなくタカちゃんとのオフィスラブはついて来ません。辞めるんやってよ、タカちゃん。 敬介  そんなんで働くんと違うわ。 アキ  あっそ……   敬介、履歴書を書いている。   アキは手持ち無沙汰な様子。洗濯物をたたみ始める。猫の鳴き声。   ミツカは、相変わらず微妙な笑顔でブラウン管を眺める。 敬介  疲れとるよ。 アキ  そうかもしれんね……   履歴書を書いている敬介と洗濯物をたたんでいるアキ。   チャイムの音。しかし、二人とも動かない。   もう一度チャイムの音。 敬介  出んでええん? アキ  そうかもしれんね……   敬介、諦めて玄関口へ向かう。   向かっている途中でまたチャイムの音。 アキ  そうかもしれんね… 敬介(声)  はーい。 多香子(声) あ、 敬介(声)  あ、どうも。 多香子(声) どうも。アキちゃ…お姉さんいます? 敬介(声)  えっと、ちょっと呼んで来ます。   敬介、「姉ちゃん」と言いながらリビングへ。 敬介  姉ちゃん、タカちゃん。 アキ  …うん。 敬介  どうするの? アキ  あがってもらって。 敬介  部屋、こんなやけどええの? アキ  そう思うんなら片付けて。 敬介  ……呼んでくる。   敬介、持てる限りの雑然としたもの(洗濯物やら新聞・広告類やら雑誌、オムツなど)を抱えて奥の部屋に押し込んでから玄関口へ向かう。 敬介(声)  あ、どうぞあがって下さい。 多香子(声) あ、はい。おじゃまします。 敬介(声)  はい、邪魔されます。 多香子(声) はい?   多香子、リビングに入ってくる。ボケッと多香子を見るアキ。   敬介も入ってきて。 敬介  お茶、入れますね。 多香子 あ、お構いなく。 敬介  姉ちゃん、お茶いるの? アキ  お構いなく。 敬介  お茶、入れてきます。   と、台所へ…… 多香子 アキちゃん? どしたん、ちょっと変よ? アキ  うん。 多香子 アキちゃん? アキ  うん。 多香子 出直そうか? 何かアレみたいやし。 アキ  ええわ。気にせんで。   敬介、麦茶を持って入ってくる。しかも四つ。 アキ  ウチ、四つも飲めんよ? 敬介  姉ちゃんは一つ飲めばええ。どうぞ、粗茶ですが。 多香子 どうも。 敬介  (アキに)粗茶ですが。 アキ  どうも。 敬介  (ばあちゃんに)粗茶です。 ミツカ どうも。 敬介  (自分に)粗茶です。粗茶ならいらん、もっとええ茶を出せ。 アキ  じゃあ、コーラ飲み。 敬介  コーラ飲も。   再び、台所に消えていく敬介。ぽかんとしている多香子。 アキ  気にせんで。 多香子 うん。 アキ  それで? 多香子 うん…今日ね、辞表出してきたんよ。 アキ  やっぱり辞めるんね。 多香子 ごめんね。 アキ  なに謝りょうるん? 多香子 止めてくれたの、アキちゃんだけじゃけえ。 アキ  ほいじゃけえ、すんなり辞めれたんやね。所長あたりが止める思うたのに。 多香子 残念やった。ウチ、必要なかったみたいやね。 アキ  うん 多香子 アキちゃん、普通はこういうとき「なんね、そんな事なかよ」言うもんじゃろ。 アキ  どうして博多弁なん? 多香子 自分で大真面目に言うと恥ずかしいけえね。 アキ  うん。 多香子 で? アキ  うん? 多香子 (アキには聞こえんようにぼやく)やっぱり言ってくれんのじゃね…… アキ  (聞こえてか聞こえずか)うん。 多香子 (冗談めかして)やっぱり怒っとる? アキ  うん。 多香子 ……   敬介、台所から麦茶の瓶を持ってやってくる。 敬介  どうもー、お代わりいかがですか? お茶にコーラ、ビールもありますよ。 多香子 いいですから。 敬介  お茶にコーラ アキ  要らんわ。 ミツカ ビール。 敬介  ばあちゃんは、自分の飲みきってから言いにゃあ。     あ、それだったらお茶菓子なんかどうです? いい饅頭があるんですよ。7&8で貰う(もろう)てきた奴が確か台所に…あ、饅頭嫌いです? 多香子 いえ。 敬介  じゃあ饅頭ですよ。それと、ドラ焼きもあるんですけどドラ焼き。プラス3で貰う(もろう)てきた奴。     饅頭とドラ焼きどっちにします?     あ、どっちにしますって言ったら、昔究極の選択ってあったじゃないですか。ウンコ味のカレーとカレー味のウンコと アキ  両方持ってき。 敬介  ウンコ味のカレーとカレー味のウンコ? アキ  饅頭とドラ焼き! 敬介  はいはい。   台所へ消える敬介。 アキ  ったく、しょうもない。 多香子 もろうて来たって、弟さん、和菓子関係の仕事でもしょうるん? アキ  パチンコ。 多香子 なるほど。ほいなら、勝ったんじゃね アキ  逆よ逆。負けると、近くのスーパーで買うて来るんよ。 多香子 ふぅん(とにやけ顔) アキ  なんね? 多香子 何でもない。 アキ  一応言うとくけど、怒っとるけえね。 多香子 承知しとります。 アキ  で……これから、どうするん? 多香子 考えとるトコ。暫くはゆっくりしてみようかと思っとる。 アキ  ほうね。 敬介(声)  姉ちゃん、饅頭とドラ焼き食った? アキ  食っとらん! 敬介  (出てきて)おかしいのぉ、ありゃせんじゃなぁ。 ミツカ あ…… 敬介  ばあちゃん、食ったん? ミツカ ん…… アキ  食っとらんって言ようる。 敬介  ほいじゃけど、姉ちゃんも俺も食うてないんじゃけえ。 ミツカ 猫 アキ  は? ミツカ 猫が、年寄りの猫がおって。窓から入ってきとって。台所の窓から入ってきとって。     ほうじゃね、最近じゃキツチン言うんじゃね。ばあさん知っとる。大丈夫じゃけえ、アキちゃんの友達には言わんけえ。     饅頭咥えて、饅頭とドラ焼き咥えて。ぎょうさん咥えて。     なんね、饅頭いやの。饅頭好きじゃったろ? うん、ケエキあるよ。アキちゃんの誕生日。友達よぶんじゃろ?     開けえ言うけえね、開けちゃったんよ。フタやらフタやら開けちゃったんよ。     じゃけど、もうフタ開けてしもうたけえね、ケエキと饅頭でもええかね? アキ  ばあちゃん。 ミツカ 年寄りの癖にぎょうさん食っとったわ。猫が、年寄りの猫が食っとったわ。     いけん言うたら、ばあさん食うわ。饅頭、あんころ饅頭食うわ。     ほいで、外の雨水飲んでどっか行ってしもうたんよ。雨水ぎょうさん飲んで。     飲み物、ジュースの。コーラは駄目じゃけ、骨が解けるけえ駄目じゃけえね。 アキ  ばあちゃん! ミツカ ……猫の仕業じゃった。 敬介  ほうね……猫の仕業ね。   アキ、敬介押し黙る。必然的に、多香子は居心地が悪くなる。 多香子 意味、解らんのんやけど。 アキ  うん。 敬介  ボケとるけど、昔の事は案外覚えてるんです。 多香子 …… 敬介  送ります。 多香子 は? 敬介  もう日が暮れそうなんで…… 多香子 あ、そうですね。もう三時過ぎですもんね。 敬介  ええ、もう日が暮れそうなんで。   多香子、小さく「お邪魔しました」と行って出て行く。   敬介もその後に続く。   残される、アキとミツカ。 アキ  ほうよね。そんなこともあったね。     ウチ、まだ小学生で、ちょっと背伸びしたかったんよ。友達呼んで誕生パーティーしたかったんよ。     うらやましかったんよ。他所の子が「ママ」言うてキッチンでケーキ貰ってくるんが。     饅頭やらそんなババ臭い食いもん、嫌じゃったんよ。フタ開けてしもうた言うても嫌じゃったんよ。     じゃけえ、ばあちゃん無理して饅頭全部食うて……     満腹で寝込むまで食わんでもええのにね。   猫の鳴き声がする。 ミツカ あ アキ  あ、猫。 暗転 5   敬介、スーツに着替えている。どうやら、面接に行くらしい。   アキは、トイレでミツカと格闘。 アキ(声)  着替えたん? 敬介  まだ アキ(声)  早うせにゃあ間に合わんで。 敬介  早う言うても一時間あるじゃろう。 アキ(声)  あわてて行ってあせるより、ゆっくり行って落ち着いたほうがえかろう。 敬介  大丈夫よ。てご家は逃げやせんわ。 アキ(声)  逃げるかもしれんじゃろ。 敬介  どうやって逃げるん。 アキ(声)  猛ダッシュで。 敬介  ダッシュせまぁ。ダッシュしたらじいさんばあさんに悪いけえ。   アキ、やってきて。 アキ  馬鹿なこと言わんと、とっとと着替えんさい。 敬介  姉ちゃんが言わせとるんじゃろうに。 アキ  所長が面接するけえ、失礼のないようにしいね。 敬介  いつも、折り目正しくしとるけえ大丈夫よ。 アキ  その軽口が一番心配よ。ほら、携帯なんかいじっとらんと。 敬介  うるさいのお。メールきとるんじゃ。 アキ  タカちゃん? 敬介  ほうじゃけど。 アキ  旅行先から送ってくるなんていなせな事するねぇたかちゃんも。なんね? なんて来とんね。 敬介  「面接頑張ってください。アキちゃんにもよろしく」って。 アキ  なんね、脈アリそうじゃね。一気に進展じゃなーの。ホンマ、どこをどう転がしてこうなるんかね。     ヒューヒュー 敬介  ヒューヒュー言わんとき、歳がバレるけぇ。 アキ  ヒャーヒャー。 敬介  …… アキ  ヒョーヒョー 敬介  社交辞令よ。 アキ  ほうじゃね、社交辞令以外の何もんでもないね。そんな短いメール、好意の欠片も入っとらんね。 敬介  なんね。欠片くらいは入っとるわ。ちいと位は気にかけてくれとるに決っとる。 アキ  姉の友達に手ぇだすなんて、油断も隙もあったもんじゃないわ。いつメアド交換したん? 敬介  じゃけえ、送っていったときに言うたろ。 アキ  そこよ、それ。それが油断も隙もないんよね。     ウチがばあちゃん見ようるのに、タカちゃんとメアド交換しょうってからに。 敬介  えかろうがね。千載一遇のチャンスじゃって思ったんよ。 アキ  何が千載一遇よ。使い慣れん四文字熟語使うてからに。あんた、面接行って変なこと言いなさんなよ。 敬介  言わん言わん。 アキ  なんて言うつもりなん。 敬介  何が。 アキ  志望動機とか聞かれたら。 敬介  「御社の社風に魅かれたからであります」……言う事は言わんじゃろうね。 アキ  真面目にやりんさい。 敬介  「近いんでええかなと思うたんです」 アキ  あんた、ホンマそれ言うん? 敬介  言わんよ。いくら俺でも、同じ轍は踏まんわ。 アキ  同じ轍言うて……面接三分で終わるわけよ。     もうええわ、こう言いんさい。「姉から働きやすい職場だと聞いてきたもので」     ほら。 敬介  「姉から働きやすい職場だと聞いてきたもので」 アキ  よし。ほら、何トロトロ着替えとるん。ちゃっちゃと済まし。 敬介  姉ちゃんが邪魔せんかったらちゃっちゃと済ましとるわ。 アキ  ほら、ハンカチとチリ紙とあと何? 敬介  ばあちゃん、ええんの? アキ  あとばあちゃん? 敬介  いや、俺の面接じゃのうて…… ミツカ(声) あ…… アキ  あ、はいはい出たね?   アキ、足早にトイレに向かう。   溜め息一つ、着替えを進める敬介。   しかし、すぐに戻ってきて。 アキ  出とらんかったわ。 敬介  止めえよ。 アキ  何が? 敬介  今日はばあちゃんのウンチ見せるの止めえよ。 アキ  そぎゃあな事せんわ。早うしんさい。 敬介  何をあわてとるんね。 アキ  弟がウチの職場に面接するんじゃけえ、緊張するのが人として当然じゃろう。 敬介  姉ちゃんが緊張してどうするん? アキ  緊張しとらんわね。 敬介  どっちよ。 アキ  解らん。 敬介  解らんところ悪いんじゃけど、姉ちゃん、覚えとるかね。 アキ  何よ? 敬介  俺が働いたら、ばあちゃんてご家に入れる言う話。 アキ  あぁ、それね。そんな事働いてから言いんさい。 敬介  別に、姉ちゃんが嫌じゃったらええけえね。 アキ  どしたん? 敬介  意地なんじゃろ? アキ  ……んや、やっぱり少し預ける事にするわ。一週間にいっぺんでもにへんでも。 敬介  うん、そうしい。 ミツカ(声) ウンコ味のウンコ…… アキ  はいはい。   アキ、トイレへ向かう。   敬介は、着替え終わっている。スーツの折り目を正して、荷物を持つ。   そして、玄関口へ。 敬介(声)  ほいじゃあ、行ってくるけえ。 アキ(声)  その前にこっち来。 敬介(声)  ほいじゃあ、行ってくるけえ!        行ってきます!   誰もいなくなる空間。生活感のあるリビング。   台所から吹き込む風。   どこかしらか、猫の鳴き声がする。 幕