遺書 登場人物 探偵 木下タカシ 助手 高橋なつみ 男  畑中太郎 ヨメ 藤本やよい 花屋 花本ハナオ 探偵 「面白い話をしましょう」と言って始まる話はたいてい面白くないものです。    ですが、「つまらない話ですが」と言って始まる話はたいてい本当につまらない。    しかし、わたしはこれから始める話をあえて「つまらない話」と言う事にします。    その日もわたしは、この小さな探偵事務所の固いイスに……(客席を見て)そうですあなたが座っているようなそんなイスです。そのおもちゃのようなイスに座って、ラジオを聴いていました。    流行のアーティストが緩やかに下り行く幸せをだらっと続けることの不安を歌っていました。    それは、無味無臭で流れるいつものわたしの日常そのものでした。たまに来る浮気調査をして、毎日の生活をやり過ごす、わたしへの嫌味のようにも聞こえました。   男に光が当たる。 男  そろそろ俺の出番は? 探偵 うるさいだまれ。 男  (ノックする) 探偵 勝手に芝居を進めるな。 男  ここ、探偵事務所ですよね? 探偵 だから 男  ふと思うのです。緩やかに下り行く幸せと、緩やかに上り行く絶望はどちらがいいのかと。 探偵 この男は畑中太郎。わたしの数少ない友人の一人です。    会社に勤めるかたわら、たまの休みに小説を書くと言うのが趣味のつまらない奴です。    その日、彼がわたしの探偵事務所の扉を叩いたところから 男  (ノックする) 探偵 だからまだ喋ってるのに。   そこは探偵事務所。 男  (ノックする) 探偵 入っていますよ。 男  ここ、探偵事務所ですよね?(ノックする) 探偵 違います。 男  表に看板ありましたけど? 探偵 それ、隣です。 男  隣、宗教法人の事務所みたいですけど? 探偵 今、その宗教の神様が来てるんで、 男  じゃあ結構取り込んでるんですね。 探偵 結構どころじゃなく取り込んでるんですよ。 男  どんな風に取り込んでるんですか? 探偵 カレーパンマンがクチからじゃなくてケツからカレーを 男  うん、入りますね。 探偵 たとえ話じゃん!   男、入ってくる。 探偵 もー、取り込んでるって言ったのに、今日休みだよ休み平日だけど休み、そう決めた今決めた。    もう寝る! おやすみ! 男  …木下? おまえ、木下か? 探偵 …おまえは!? 男  俺だよ。 探偵 畑中じゃん、みんなも知っての通りの畑中太郎じゃん。 男  何言ってんの? 探偵 それはこっちの話だけど。どしたの? 久しぶりじゃん。 男  おととし会ったっきり? 探偵 おととし会ったっきりだよ。たまには連絡しろよ。 男  ごめんな。 探偵 生きてるなら生きてるで言ってよ。言ってくれないと分からんから。 男  そっちこそ、生きてるのか死んでるのか分からないような感じじゃないの。 探偵 生きてるよ、この通りピンピンしてるよ。 男  無精ヒゲまで生やしてな。 探偵 無精ヒゲもピンピンしてるよ。なんかさ、ヒゲとか伸ばしてたらさ、明治か大正とかの文豪っぽくね? 男  平成の路上生活者っぽいかな。 探偵 それはちょっとやだな。せめて、路上で詩集とか売ってる文豪とかなら。 男  なんだよそれ。 探偵 だってさ、文豪って響きがカッコいいじゃん。豪って。 男  じゃあ、五合は? 探偵 いいねー 男  お米五合。 探偵 いいねー、お米五合。 男  なんでもいいんじゃん。 探偵 そういやさ、おまえはまだあれ書いてんの? ほら、小説。 男  まあ、その、 探偵 おまえこそ、ちょっとヒゲとか伸ばしてみたらどうよ。平成の文豪っぽくさ。 男  会社員だし 探偵 だな。勤め人だもんな。無精ヒゲとかアウトだもんな。で? 男  で?って? 探偵 こんなところに何か用事? 男  用事っちゃあ用事なんだけど。 探偵 何よ? 男  それが言いにくいことなんだけどさ。 探偵 探偵に世話になるようなことなんか大抵は言いにくいよ。何? 浮気調査? 男  そうじゃなくて 探偵 何? 身元調査? 男  そうじゃなくて 探偵 何? 迷い猫調査? 迷子の迷子の子猫ちゃん〜、あなたのおうちはどこですか? 豪邸。ワオ! 男  うん、帰るわ。 探偵 あー、ちょっと待ってごめん悪かった。よし、聞こう、聞きましょう依頼内容を。 男  それが言いにくいことなんだけどさ。 探偵 うんうん、探偵に世話になるようなことは大抵言いにくいからねー。って何回繰り返すつもりや! 男  うん、帰るわ。 探偵 ごめんごめん待って待って今度はちゃんと聞くから。 男  ホントか? 探偵 三度目の正直って言うだろ? 男  二度あることは三度あるとも言うけど? 探偵 それいいね。 男  あ、それいただいちゃう? 探偵 いただいちゃうー。(と、帰ろうとする男を引きとめ)冗談だってば。 男  お前、いつもこんな調子で客相手にしてるの? 探偵 馬鹿言えよ、いつもはもっとちゃんとしてるよ。 男  じゃあ、いつものでよろしく頼むわ。 探偵 (急に渋く)それで、どうされました? 男  それ、いつもの? 探偵 ちょっと、かっこつけてみた。それで、何がどうしたって? 男  それがなんて言っていいのか分からないんだけど、 探偵 言いにくい内容なのは分かってるよ。でも、言わなきゃ始まらないでしょう。ほら。 男  なんて言っていいのか分からないんだ 探偵 はじめから話せよ。 男  そもそも、あれをウチのヨメって言っていいのかどうか。 探偵 ヨメ? ヨメってあのヨメ? 何? お前結婚してたの? ちょっと結婚式くらいよべよー。 男  ちょっと違うんだけど。 探偵 何がどう違うっての、ヨメってのは結婚してるって事でしょ。    妻、奥さん、家内、関西圏で言うところのウチのヨメ。これ全部イコール。そうでしょ? 男  それが違って。 探偵 あ、分かった。彼女だ。彼女のこと「ウチのヨメ」って、ちょっと背伸びした感じで。    そういうの嫌われるんだよ? 「あたしはあんたと結婚したわけじゃない!」とか何とか。 男  それが彼女でもなくて。 探偵 じゃあ何なの。あ、ウチのヨメってあれ? 「涼宮ハルヒは俺のヨメだー!」ってそんなノリ?    って、そんなわけないだろ! 男  そうなんだよ。   探偵、固まる。 男  そうなんだよ。 探偵 何で二回言った? 男  それでな、この際ウチのヨメで通すけど、そのヨメが失踪したんだよ。 探偵 二次元の世界に。 男  まじめに聞けよ。 探偵 まじめに聞いてるよ。 男  笑うなよ。 探偵 ごめん、自信ない。 男  帰る。 探偵 待って待って、待てって。とりあえず、話してみないと分からないじゃないか。 男  まず、ウチのヨメは涼宮ハルヒじゃない。 探偵 そりゃ、そんくらいは分かってるよ。じゃあ、何? 男  藤本やよい 探偵 聞いたことない名前だな、何のアニメ… 男  アニメの登場人物じゃない。 探偵 じゃあ、漫画? 映画? ドラマ? 男  彼女は、俺の小説の登場人物なんだ。   探偵、ふたたび固まる。 男  彼女は、俺の小説の登場人物なんだ。 探偵 だから何で二回言う? 男  一応、これで理解してもらえた? 探偵 じゃあ何か? おまえの小説の登場人物が、実際にいて、しかも失踪したと? 男  そういうことになるな。 探偵 一応聞くけど、本気で言ってるんだよな? 男  冗談ならもう少し笑える冗談言うよ。 探偵 お前が、ユニクロに行ってラーメンを探していることは良く分かった。 男  だからそういうんじゃなくて。 探偵 まず始めに言っておくけど。お前の思うような結果が出せるとは限らないからな。 男  信じてくれるのか? 探偵 依頼者の発言ってのはどんなにおかしくても一応信じることにしてるの。 男  職業柄ってやつ? 探偵 職業柄ってやつだな。で、どういうこと? 男  どういうことって、どういうこと? 探偵 いや、おまえさ。「自分の書いた小説の登場人物が現れて失踪しました」ってすんなり理解できると思ってるの? 男  ごめんごめん。 探偵 まさか原稿用紙の中からサダコさんよろしく出てきたわけじゃないんだろ? 男  うん。はじめは些細なことだったんだ。一人しかいないはずの俺の部屋に人の気配がするとか。    食べかけのパンがほんの少しだけ減っているとか。置いてあるものの位置が変わっているとか。    どれも気のせいで済ませることの出来るものだった。 探偵 …続けて。 男  それが、だんだんと気のせいで済ませられなくなってきたんだ。    頼んだ覚えのない商品が宅配便で届いたり、干していたはずの洗濯物が取り込んであったり、    冷蔵庫の位置が変わってたりするようになった。 探偵 ?…続けて。 男  もちろん、病院にも行ったよ。自分がおかしいって思うのが普通だと思うからね。 探偵 まあ、常識的な対応だな。 男  それでも一向によくならない。それどころか悪くなっていくばかりのような気がしたんだ。 探偵 それで、彼女はどこで出てくるの? 男  手紙というか、遺書が届いた。(と、手紙を渡す) 探偵 遺書とはまた物騒だね。中、確認していい? 男  「わたしの言葉が腐っていくのがわかる。だから、そこに種を植えよう」    一言一句間違ってない。それだけ書いてある。確認してくれてもかまわん。 探偵 これが遺書? 意味分からん。 男  俺だって意味が分からない。だからこうして探してみようって考えたんだ。請けてくれるか? 探偵 おまえじゃなかったら問答無用で追い返すところだからな。 男  請けてくれるのか? 探偵 ちょっと下調べしてからね。対象者の名前は…藤本やよいさんで良かったよね。    彼女の写真とかは、あるわけないか。 男  写真はないけど、手がかりになりそうなものなら 探偵 何? 男  書きかけだけど 探偵 おまえが書いた奴? 男  この中に藤本やよいがいる。 探偵 いや、ざっくりとした特徴が分かればいいよ。 男  ざっくり読んでくれたらいいじゃないか。 探偵 めんどくさいよ。 男  登場人物の紹介が頭にあるから、そこら辺を読めば分かるから。 探偵 なんだよ、便利なものがあるじゃんか。えーと、藤本やよい、22歳女。    ざっくり! 男  ざっくりだろ? 探偵 分かんないだろうが、これじゃあ。 男  だったら、それ読んでもらうしか 探偵 分かった分かったそれは後で考えるから、他に手がかりになるようなものとかないの?    行きつけの店とか、交友関係とか、 男  分からない。手元にある手がかりみたいなものっていったらその遺書くらいしか。 探偵 これ、預からせてもらってもいい? 男  もちろん。 探偵 それじゃあ、本当は事務的な手続きに入るんだけど…… 男  事務的な手続きって? 探偵 契約書とかそういう奴。あと(ジェスチャーで金)これの話もしないといけないしね。 男  ぶっちゃけいくらくらいかかるわけ? 探偵 調査日数によってもまちまちだよ。そんなにびっくりするような額にはならないと思うから安心しろ。 男  そっか。 探偵 じゃあ、ある程度まとまった情報が分かり次第連絡するから。 男  ありがと。どうよ、今晩飲みに行くとか? 探偵 おごれよ? 男  おごるよ。   男、事務所を出て行く。   探偵、受け取った手紙や原稿をまとめて、出て行こうと 探偵 と言うのが、畑中太郎の依頼でした。    「存在するはずのない人間を探して欲しい」 わたしも彼が友人ではなかったらていよく追い返したでしょう。    いや、友人だからこそ追い返すという選択肢も、もちろんありました。    そして、評判の良い病院を紹介することも考えの中にありました。 助手 だったら追い返したら良かったんですよ。   再び、探偵事務所。   探偵と助手。 助手 何? 自分の書いた、小説の、登場人物を、探して欲しい? 探偵 分かったから、そんなに強調しなくても。 助手 そりゃ強調しますよ、どうせ、手の込んだいたずらでしょう。 探偵 いたずらと決め付けるのは早急じゃないかな? 助手 じゃあ何ですか? 所長は小説の中の登場人物が実際にいて、なおかついなくなるというのを信じると?    はぁー、そうですかそうですか、こりゃまた参ったな。 探偵 だから、信じる信じないの話じゃなくて、可能性としてね。 助手 ありえません。 探偵 思ったよ? こっちだってはじめはありえないって思ったよ? 助手 じゃあ、なんですか? 今はありえるって思ってるって事ですか? 何を根拠に? 証拠は? 探偵 だから、それを今から話そうとしてるんじゃないの。それをなっちゃんが凄い剣幕で罵るから。 助手 じゃあ、とっとと話してくださいよ。 探偵 まずね、ボクが始めたのは彼の小説を読むことだった。 助手 面白かったですか? 探偵 苦痛だった。おまけに書きかけだしね。 助手 だったら、拾い読みすればよかったのに。 探偵 拾い読みして苦痛だったんだよ。 助手 救いようがありませんね。 探偵 まあこの際、小説の面白さなんてのは関係なくて、要は藤本やよいの情報が分かれば良いわけで。 助手 それで、分かったんですか? 探偵 小説の中の藤本やよいは大正時代に生きる22歳の女性だった。    外見についての記述は極端に少なく、肩まである髪の毛を一つに縛っている、愛嬌のある女性だと。 助手 そんな手がかりでどうやって探すんですか? 探偵 探しようがないって思うでしょ? 助手 思ってますよ。 探偵 ところがどっこい、チェックメイトにはまだ早いんだなー。 助手 手紙ですか? 探偵 そう、藤本やよいからの手紙。差出人の住所がばっちり。 助手 行ってみたんですか? 物好きだなぁ。 探偵 あのね、こんな商売やってる人間なんだから、物好きに決まってるでしょ。 助手 失礼しました。 探偵 手紙に書かれている住所はね、現在は駐車場になっていたよ。 助手 結構あっさりチェックメイトですね。 探偵 そうやって早合点するところがなっちゃんの悪い癖だよ。「現在は」っていったでしょう? 藤本やよいはいつの人間? 助手 あ。 探偵 そう、大正時代。とりあえず、土地の登記簿をたどってみることにしたんだ。 助手 なるほど、土地の持ち主が分かれば何かの手がかりになるかも知れませんからね。    って言うほど馬鹿じゃないですからねあたしは。だいたい、大正時代までさかのぼれる訳ないでしょう。 探偵 ま、さかのぼって50年ってところだね。 助手 ほら、チェックメイト。 探偵 そうなんだよねー。チェックメイトなんだよねー。 助手 ほらー、結局こうなるんだから。どうせ、たちの悪いいたずらですよ。 探偵 でもさ 助手 でももかかしもないですよ。さ、断りの電話入れましょう。 探偵 来ちゃったんだよ。 助手 何が? 探偵 手紙。 助手 まさか、 探偵 藤本やよいから。(手紙を渡す) 助手 これやっぱりいたずらじゃないですか? その、依頼者の、畑中さん?が書いて送ったとか。 探偵 消印見て。 助手 2月4日? 探偵 その日、ボクと畑中は夜中まで飲んでたんだ。 助手 前もって送っておくとか考えられますよ。物的証拠が少ないと依頼自体受けてもらえませんから。 探偵 それも考えたんだけどね、でも、事務所宛の手紙ならともかくとして、僕宛に手紙だせる?    その日、偶然に会ったんだよ? 助手 前もって知ってたって可能性だってありますよ? 探偵 まあ、そうなんだけどね。 助手 ね、ね、いたずら決定。断りましょう。 探偵 なんでそんなに断ろうとするかな? 助手 じゃあ、所長はなんで受けようって思うんですか? 探偵 いたずらならいたずらで犯人がいるわけでしょ?    だったら犯人を突き止める必要があるんじゃないかって思うんだ。 助手 それは、畑中さんが友人だからですか? 探偵 ま、ありていに言えばそうだね。 助手 でも、行き詰ってますけど? 探偵 だから、もう一度畑中から話を聴こうと思ってさ。いたずらだと思うんなら本人に直接聞いてみたら? 助手 失礼じゃないですか? 探偵 あらゆる可能性を否定しないのが探偵だよ。 助手 あたしに悪者になれって? 探偵 だれもそこまでは言ってないでしょ? 助手 言ってませんけどね。 探偵 そろそろ来る頃だと思うんだけどね。   畑中登場。手には、あやめの鉢植えが入ってる袋。 探偵 タイミングいいな。 男  うん、そこ(袖)のここだから。 助手 何の話ですか? 探偵 まあいいよ。こっちは、うちの助手で 助手 高橋なつみです。はじめまして。 男  あ、はじめまして、畑中 助手 太郎さんですね。 探偵 あらましはさっき話したところだ。 男  そっか。 探偵 とりあえず、今のところの調査状況を説明すると 助手 まったく進展していません。調査対象の外見、交友関係などの情報は皆無。唯一の手がかりである手紙についても差出人の住所は現在駐車場になっております。その土地の謄本をさかのぼって調べても手がかりになるようなものはありませんでした。 探偵 ちょっと、なっちゃん。 助手 失礼ですが、畑中さん。 男  はい。 助手 いたずらじゃないんですか? 探偵 なっちゃん。 男  いや、いいんだよ。そう思われても仕方のない話なんだから。 探偵 なっちゃん。コーヒー入れてきて。 助手 …分かりましたよ。   助手、給湯室へ。 探偵 すまんかった。 男  いや、元気があっていいんじゃない? 探偵 普段はもっといい子なんだけどね。どうもこの案件については 男  嫌いだって? 探偵 ある種のやりにくさを感じているんじゃないかね。 男  お前もそう? 探偵 少なくとも単純明快、やりやすさ抜群、やっほい。ってはならないね。 男  そっか。 探偵 まあ、それなりにやるしかないじゃん。だから、お前に来てもらったわけだし。    何か変わったことは? 男  これが届いた(と、鉢植えを出す) 探偵 花? 男  何の花か分かる? 探偵 チューリップじゃないことくらいなら分かるけど? 男  そんくらいだったら俺にだって 探偵 なんか見たことあるんだよな。 男  どこで? 探偵 あれだよ、映画でみたんだよ。そうそう、「ゴジラ対ビオランテ」 男  ビオランテって花の怪獣の? 探偵 花の怪獣の 男  これが? 探偵 そんな疑われると怪しいけど。 男  こんなちっこいのにゴジラと戦うの? 探偵 でかくなるんだよ。 男  どうやって。 探偵 光合成? 男  んな馬鹿な。 探偵 触っちゃ駄目だ! 食われるかもしれない。 男  んな馬鹿な、おおおおう! 食われる! 食われる! 探偵 待ってろ、今、ゴジラ呼んでくるから!   助手、コーヒーを持ってやってくる。 探偵 安心しろ、ゴジラが来た。 男  ありがとう、ありがとうゴジラ。ありがとうビオランテ。ありがとうって伝えたくてありがとうゲゲゲの何たら。ガクッ。 探偵 ゴジラ、おまえがもう少し早く来ていれば一人のどうしようもない男の命が救われていたのに、    ゴジラ、おまえが東京タワーを迂回しなければ、こんなことにはならなかったのに。    ゴジラ! 助手 誰がゴジラですか。 探偵 じゃあ、ゴリラ? 助手 くだらないことやってないで、ほら、コーヒーお待ち。 探偵 ありがとう。 助手 あれ、あやめの鉢植えなんか出して、どうしたんですか? 探偵 あやめ? 助手 あやめの花ですよ。 探偵 藤本やよいから届いたらしいよ。 助手 どういうことです? 男  朝出かけるときに玄関にこれがあって 助手 なんであやめを? 探偵 それが分からないからこうして遊んでるんじゃないか。 助手 あやめって事すら分かってなかったじゃないですか。 探偵 さっぱりだよ。藤本やよいってのは何をもってこんな回りくどいことをするのかね。 男  分からん。 探偵 生みの親なのに? 男  小説の登場人物が何を考えてどう行動するのかっていちいち分かるような小説家はいないよ。 助手 ひょっとしたら一番直接的な方法なのかも知れませんよ? 探偵 どういうこと? 助手 メッセージ 男  メッセージ? 助手 あやめの花言葉です。 探偵 メッセージと言ったら、やっぱりこれだろうか?(と、手紙を取り出す) 助手 「わたしの言葉が腐っていくのが分かる。だからそこに種を植えよう」    これ、何ですか? 探偵 彼女が失踪する前に置いていった手紙。 助手 どういう意味です? 探偵 そりゃ本人にしか分からないよ。 助手 (男に)どういう意味です? 男  分かりません。 探偵 わたしの言葉が腐っていくのが分かる。 助手 なんか、分かるな。 男  え? 助手 言葉とかそういうのは分からないですけど、ニュアンスはなんとなく分かる気がするんです。 探偵 ニュアンス? 助手 駄目になるのが分かっているのにどうしようも出来ないってあるじゃないですか。 探偵 そんな時、なっちゃんはどうするの? 助手 めっちゃ抵抗します。 男  それが、種を植えること? 助手 わたしは小説家じゃないから分かりませんけど。 探偵 小説家? 助手 藤本やよいは小説を書くんですよね? 男  うん。書こうとするってのが本当だけど。 助手 所長、本当にこの話読んだんですか? 探偵 読んだよ読みましたよ。普段使わない読書脳をフルに使って読みましたとも。 男  その割には頭に入ってないじゃん。 探偵 書きかけじゃあどういった話か分からないからね。 男  悪かったな、書きかけで。 助手 そもそも、どういう話なんですか? あたしは読んでないから分からないんですけど、 探偵 解説どうぞ。 男  おまえも読んだんだろ? 探偵 専門家がいるのに素人がでしゃばっちゃ悪いだろ? 男  よく言うよ。    物語の舞台は大正時代のあるそこそこの商家。そこの次女が藤本やよいと言うわけ。    お姉さんは早くに嫁いで、自分も適齢期を十分に過ぎているのだけど    物語を書いたり、本を読んだりしている事に夢中で結婚する気はさらさらない。 助手 大正時代でその生き方は大変でしょうね。 男  結婚するのが仕事みたいな時代だったろうからね。    それをいつまでも結婚しないやよいに父親が言うわけ。おまえは、この世に何を成すのかと。    たいていの男は仕事をして世の中を動かしている、たいていの女は子を産み育てこの世を作っている。    くだらない小話を書いているお前はこの世に何を残すんだと。 助手 それで、どうするんですか? 男  だから藤本やよいは自分の書いた小説を持って出版社をめぐった。 助手 本にしてもらおうと思ったんですね。 男  うん、でも書いても書いても出版者は取り合ってくれないわけだ。    女の書いた小説が読めるかって人間も多くいたような時代だからね。 探偵 女の握った寿司が食えるかってのと同じ理屈だな。 助手 今はロボットが握ってるところもありますけどね。 男  小説を書くことに没頭していくあまり、だんだんと家族からも社会からも孤立していく彼女は、ある日、神様の声を聞くんだ。 助手 何を言われたんですか? 男  そこでおしまい。 助手 え、いいとこだったのに。 探偵 中途半端なところで終わってるんだよ。 男  そっから筆がのらなくてね。 探偵 どう? 何かひらめく? 助手 全然。せめて神様に言われた言葉でも分かれば違うと思うんですけどね。 探偵 どう続けるつもりだったわけ? 男  それこそ神様に聞いて欲しいよ。ホントそれくらいまったく書けなくなったんだから。 探偵 結局は、このあやめちゃんが頼りか。 助手 あれ? この花屋。結構近所ですよ? 探偵 え? 助手 ほら、住所。 探偵 ホントだ。 男  そこであいつは花を買ってるって事か。 探偵 原稿用紙の中から取り出してたとしても別に驚かないけどな。 男  言うなよ。 探偵 よし、ちょっと行ってくる。留守番よろしく頼むよ。 助手 分かりました。 探偵 それと、これ。返しとくよ。(と、小説を男に) 男  持ってていいのに、何かのヒントくらいにはなるかもしれないし。 探偵 大丈夫、コピーとってある。 男  そこら辺はきっちりしてるんだな。 探偵 じゃあ、後はよろしく頼むよ。 助手 了解です。   探偵、男出て行く。   助手、散らかった書類などを整理。その中から小説のコピーを見つける。   読み始める。 助手 わたしの言葉が腐っていくのが分かる。…やっぱいたずらじゃないかなぁ。    だって出来すぎでしょ? 出来杉君くらい出来すぎでしょ。   ノックの音 助手 はい。 藤本 お邪魔します。 助手 いらっしゃいませ。どうぞお掛けになってください。 藤本 いえ、このままで。 助手 あいにく、所長が留守にしておりますので、用件だけを伺うことになりますがよろしいでしょうか? 藤本 ええ。 助手 何か入れてきますね。コーヒーとお茶、どちらがよろしいですか? 藤本 お構いなく。 助手 コーヒーを入れてきますね。 藤本 お構いなく。 助手 それでは、失礼ですがお名前を伺ってもよろしいでしょうか。 藤本 藤本やよいと申します。 助手 でた。 藤本 はい? 助手 でちゃったよ。ラスボス登場だよ参ったねこりゃ。 藤本 何のことです? 助手 あのさ、あたしが言うのもなんだけどさ。こういうことして馬鹿みたいって思わないの? 藤本 こういうこととは? 助手 いたずらよ。畑中さんと組んで手の込んだドッキリやってるんでしょ? 藤本 ドッキリ? 助手 そこまでとぼけなくてもいいと思うけど? ご丁寧に大正時代って設定守っちゃって。 藤本 設定? 設定とはどういうことですか? 助手 設定は設定でしょう。あんた、とぼけてんの? 藤本 とぼけるだなんてとんでもない。 助手 何、何が目的? 藤本 あなたに会いにきました。 助手 はい? 藤本 なっちゃんさんですよね。 助手 高橋だけど。 藤本 なっちゃんさんですね。 助手 そうですけど? 藤本 わたしの言葉が腐っていくのが分かる。 助手 それ、どう意味なわけ? 藤本 あなたが共感してくれた通りの意味ですよ。 助手 …どこで聞いてたの? 藤本 だから、種を植えようと思うんです。 助手 どこで聞いてたかって聞いてるの。 藤本 聞く? 助手 何がおかしいわけ? 藤本 聞くも聞かないもそんな事、些細なことでしょう? 助手 些細? 藤本 些細な疑問なんて多くの共感を持ってすれば何のことはないでしょう? 助手 言ってる意味が分からないんだけど。 藤本 共感してくれたついでに、あの人に伝えてください。 助手 あの人って畑中さん? やだよめんどくさい。 藤本 あなたがやらないのなら。わたしが神様になります。 助手 はあ? 藤本 お願いしますね。 助手 ちょっと!   藤本、去っていく。   動かない助手。 助手 ちょっと何なのよ。    助手 藤本やよいと名乗る女性は現実にいました。    幽霊とかお化けとかゴーストとかそういう類のものでない事は良く分かりました。    そして、たちの悪いいたずらではないという事も、おそらくそうでしょう。    彼女は本気でした。本気で意味深な台詞だけを残していったのです。 探偵 そんでもって、ご丁寧にお見送りをしたわけだ。なっちゃんは、藤本やよいを。 助手 すみません。 探偵 なんで藤本やよいが現れた時点で連絡入れないの。基本だよ基本。 助手 ごめんなさい。 探偵 わざわざ対象から接触してくれたってのに、やりようはいくらでもあったでしょう。    引き止めておくとか、飲み物に睡眠薬混ぜるとか、君だけでも尾行するとか。 助手 申し訳ないです。 探偵 おまけに、名前以外の情報も分からないまま。住所とか電話番号とか聞くことあるでしょう。 助手 何かテンション上がっちゃって。 探偵 やることやって駄目だったんなら怒らないよ。でもやることやってないでしょう。 助手 ごもっともです。 探偵 何か言いたいことは? 助手 (ボソッと)ここまで責めておいて言いたいこともなにも。 探偵 何か。 助手 なんでも。 探偵 それで、藤本やよいはなんて? 助手 あなたがやらないのなら、わたしが神様になりますって。 探偵 あなたってのは 助手 多分、畑中さんだと思います。 探偵 また、話を聞かなきゃいけないな。 助手 それで、花屋さんの方はどうだったんですか? 探偵 お話にならなかった。 助手 収穫無しって事ですか。 探偵 いや、言葉どおりの意味で。 助手 ?   ノックの音。二人が応答する間もなく花屋が入ってくる。 花屋 どうもー。どうもどうもどうもー。 探偵 あなたは。 花屋 先ほど振りでつ。花屋の花本ハナオでつ。 助手 何ですか、この人? 探偵 お花屋さん。 助手 頭の中が? 花屋 ちょっとちみー。聞こえてる聞こえてる。ばっちり左の耳から入って鼻の中から抜けていってるぅ。 助手 近いです、近いです。 探偵 どのようなご用件で。 花屋 ご用件もご用件。ちみ、大事な大事なマイベイベ忘れていったじゃない。 助手 あ、鉢植え。 探偵 ビオランテちゃん! 助手 何ですかそれ? 花屋 この子の名前に決まってるじゃない。 探偵 付けらされたんだよ。 助手 その割には自然に呼んでましたけど? 探偵 呼ばないと怖いから。 花屋 花本ハナオ、思うに、名前って記号以上のものを持つと思うわけ。    ちみ、名前は? 助手 教えたくありません。 花屋 んま、正直! 助手 それがとりえですから。 花屋 ちみ、この子の名前は? 探偵 それは個人情報に関わる問題でして 花屋 ちみの名前でもいいんだけど。 探偵 高橋なつみです。 助手 所長! 花屋 おーけい。なっち。 助手 高橋です。 花屋 あなたが例えば、ヒト科メスなんて呼び方だったらとても味気ないじゃない? 助手 花だってそんな回りくどい呼び方じゃないじゃない。 花屋 だまらっしゃい! このメス豚が! 助手 所長、警察呼びましょう。 花屋 違うの、記号じゃないの。お花なんて画一的な呼び方じゃ駄目なの。 助手 だから、あやめとか。 花屋 ビオランテちゃんです! 探偵 もう、こいつはビオランテちゃんなんだ。分かってくれ。 助手 はあ? 探偵 話合わせてやり過ごそうよ。 助手 豚まで言われて引き下がれませんよ。 花屋 世界に一つだけの花なんどえす! ナンバーワンにならなくてもいい、それぞれが特別なオンリーワンどえす! 助手 あたし、あの歌嫌いなんですよね。 花屋 シット! 探偵 なっちゃん、穏便路線。 助手 あんなん、ヤクがらみでパクられたキモ顔のおっさんが作った歌じゃないですか。 探偵 なっちゃん、路線が違う。 花屋 おーけい、こうなったら勝負しかないようですね。 探偵 どうして? 助手 やったろうじゃない。 探偵 どうして乗る? 花屋 古今東西、花の名前! 助手 バラ! 探偵 だから乗るなよ。 花屋 ミニバラ! 助手 野バラ! 花屋 豚バラ!   不毛な古今東西。   電話が鳴る。受話器をとる探偵。 探偵 はい、ひまわり探偵事務所。 男  先ほど振り。 探偵 畑中? 男  ちょっと聞くんだけど、お前、俺の小説に何かした? 探偵 どういうこと? 男  書き足したりしたか? 探偵 何でそんな事しなくちゃいけないんだ。 男  進んでるんだよ。 探偵 は? 男  だから、俺の書いた小説が進んでるんだよ。 探偵 どうなってるわけ? 男  変な花屋が出てきてる。 探偵 うん、その花屋、今ここにいるわ。 男  は? 探偵 ほら、さっきの花屋の。 男  でつ? 探偵 でつ。 男  今、どんな状況? 探偵 なっちゃんと古今東西やってる。 男  うん、そこまでは進んでない。 探偵 とりあえず、こっちのコピーでも進んでるかどうか確認してみるよ。 男  俺も、そっちに向かってるから、もうすぐ着く。 探偵 分かった。   電話を切る。 助手 バラック 花屋 バラモス 助手 バラ寿司 花屋 バランスボール 助手 大海原 花屋 なかなかやるじゃないですか。ちみ。 助手 そっちこそ。 探偵 花とか関係なかったみたいだけどね。 花屋 ちょっとちみ。ボクね、売られた喧嘩は買う主義よ? 釣りはいらないからいらないからとっときな2000円札。 助手 うわ、2000円札とか超懐かしい。 探偵 よし、なっちゃん、その調子で遊んでおいて。こっちで、調べ物するから。 助手 調べ物って何ですか? 花屋 進んだ話の続きが気になるのでつか? 探偵 ! 花屋 だってボクチンはメッセージを届けに来たんでつから、そのくらいのこと分かっていて当然なのでつ。 助手 メッセージ? 探偵 ビオランテちゃんのことか。 助手 いい加減、あやめに戻しましょうよ。 花屋 駄目駄目、噛みかけのガムとか上げるから戻さないでくれよ。 助手 いらないって! 花屋 ないって! ガム噛んでないもーん。 探偵 自由だ… 花屋 ちなみに自由ってのは、スリランカオオツバキの花言なり。 助手 あ、そうなんだ。 花屋 嘘です。 助手 嘘かい! 探偵 そろそろ、メッセージとやらを教えてもらえると助かるんだけど。 花屋 あらボクチンとしたことが、こう見えてボクチン、小学校の通知表に「落ち着きがない」と六年間書き続けられました。 探偵 だろうね。 助手 そのまんまじゃん。 花屋 では、メッセージを込めて誠心誠意踊らせてもらいます。 二人 をい。 花屋 ミュージック、スタート!   鳴り出さない音。   花屋、鼻歌まじりに踊りはじめる。   唖然とする二人。   そこへ、駆け込んでくる男。手には、小説。 男  おい、知ってるか? スリランカオオツバキの花言葉って自由なんだってさ! 探偵 嘘だろ? 男  もうそこまで進んでるのか。 花屋 ふんふんふんふん。(と、男の目の前で踊る) 男  (無視して)そっちのコピーの方はどうなってる? 探偵 今から調べようかと思ってたところ。   以降、花屋は熱烈なダンスを各自の目の前で踊り続けるが、無視される。 男  いや、調べなくても良いよ。手元にある小説が進んでるって事実だけで十分だ。 助手 あの、畑中さんにご報告しなきゃいけないことがあるんですけど。 男  何? 助手 実は、んのぅあ。でして。 男  何? 探偵 しかも、んのぅあ。で。 男  マジで? 助手 さらに、んのぅあ。と言われたんですけど。 男  うん、さっぱり分からん。 花屋 今分かってる流れだったんじゃないの? 助手 (無視して)実は藤本やよいに会っちゃたんです。 男  え? 探偵 んでもってご丁寧にお前宛のメッセージを言付かってるそうだ 助手 あなたがやらないのなら、わたしが神様になります。 花屋 ソーダのことサイダーって言うのって、なんかこっ恥ずかしくない? 助手 (無視して)どういう意味か分かりますか? 男  …神様。 探偵 たしか、元は神様の言葉のところで終わってたよな? 助手 小説が進んだって事はその言葉も 男  わたしはあなたが羨ましかった。書きたいことが尽きないあなたが、書きたいことが書けるあなたが 探偵 何だ?それ 男  そう書いてあったんだ。 助手 また意味深な。 花屋 言葉どおりの意味じゃないでつか。 探偵 どういうことだ? 花屋 太郎ちゃんは分かってるんじゃないでつか? 男  … 探偵 どういうこと? 男  ホント、言葉どおりの意味だよ。俺は、藤本やよいが羨ましかったんだ。 探偵 羨ましいって何が。 男  ありていに言えば、小説が書けるって事がだな。 助手 畑中さんも書いてるじゃないですか。 男  半年前までね。 探偵 半年前って言ったら 花屋 和服美人の彼女から手紙が来た頃じゃないどえすか? 男  うん。 探偵 なあ、畑中。俺が読解力があるほうじゃないのは分かってるよな。 男  もう嫌というほど 探偵 この小説しか取っ掛かりになるものが無いんだ。ちゃんとどういうつもりで書いたのか言ってくれないとこっちもやりようが無い。 男  悪い。   ノックの音。 助手 はい。 藤本 また来ちゃいました。あら、今日は皆さんおそろいで。 助手 藤本やよいです。所長、藤本やよいです。 探偵 ああ、あなたが噂の藤本やよいさんですか、さあさあどうぞお掛けになってください。 藤本 お構いなく。 探偵 すみませんが、電話番号をお教えいただけないでしょうか? メールアドレスでも構わないんですが。 藤本 お構いなく。 探偵 通じてるの? 助手 通じてると思います。 藤本 あら、あなたもいらっしゃったのですか。 男  …はじめまして。 藤本 はじめまして、神様。 男  今はあなたが神様なんでしょう? 藤本 そうでしたね、元神様。 男  その神様は何をするつもりですか。 藤本 わたしはわたしの成すべきことをするだけです。当初の予定通り寸分の狂いもなく。 男  … 探偵 どういうこと? 男  藤本やよいは、傑作になるはずの小説を残して、自殺する。 助手 え? 男  当初の予定じゃそうなるはずだけどな? 藤本 そうなるはずですね。 男  こっちとしちゃ、そんな気持ち悪いことさせたくないんだけど。 藤本 仕方のないことですから。 探偵 では、原稿を受け取りに上がりますので住所などを教えていただけると 助手 所長 探偵 何? 助手 滑稽です。 探偵 知ってるよそんなこと。 藤本 それでは、このあたりでお暇させていただきます。 探偵 ちょっと! なっちゃん、出口塞いで! 助手 はい!   助手、探偵動こうとするが動けない。   一礼して悠々と去っていく藤本やよい。   魔法が解けたように動き出す各人。 探偵 逃がしちゃったなみすみす。 助手 逃がしちゃいましたねみすみす。 探偵 それで、畑中。 男  うん。 探偵 いろいろ言いたいことはあるけど、とりあえずこいつ殴らせろ。 花屋 何でボクチン? 男  好きにやってくれ。 花屋 おいぃ! 探偵 次から次へとよくもまあ新事実が。 男  すまん。 助手 どうするつもりですか? 探偵 まさかこのまま傑作書かせて死なせるつもりじゃないだろうな。 男  そんなこと…! 助手 あれですよ、藤本やよいよりも早くこのお話しを書き上げればいいんじゃないですか? 花屋 ノンノン。書けない坊やにそれは酷な話ってもんです。 探偵 書ける書けないの問題じゃないだろう。 男  それが書ける書けないの問題なんだよ。本当にびっくりするくらい書けないんだ。 助手 書けない原因は分かってるんですか? 男  それは 花屋 それはたぶん彼がチョー幸せだからじゃないかな。 探偵 あんまりふざけたこと言ってると怒るぞ。 花屋 そんなストレス社会にはラベンダーがいいってね。 探偵 ほら畑中。 助手 書いてみませんか? やるだけやっちゃってみればいいんですよ。 探偵 なあ畑中。お前が書かないんだったら俺が書いてやるぞ。 助手 なんか所長が書いたらとんでもないのが出来そうですね。 探偵 とりあえず、メカゴジラとかでてくるから。ゴジラ対メカゴジラ対藤本やよい。どうだ? 男  分かった。分かったから。書くよ。書いてみるよ。 花屋 あらら、やる気になっちゃったみたいね。そんなちみにプレゼントフォーユー。   花屋、あらぬところから原稿用紙を取り出す。   受け取るのに戸惑う男。 花屋 どうしたの? 書くんじゃなかったの? 男  だってその、 花屋 折角使いやすいように温めておいたんだから、遠慮せずに受け取って頂戴。(と、無理やり原稿用紙を渡す) 男  生温かいよ。 探偵 さ、始めてくれ。 男  ここで? 探偵 善は急げって言うだろう。分かってるか? おまえは、藤本やよいよりも早く小説を書き上げなきゃいけないんだ。 男  分かってるけど、環境ってのも大事かと 探偵 原稿用紙とペンがあれば十分だろう。 男  俺が書いてる間、みんなはどうしてるわけ? 助手 向こうで書類の整理やってます。必要なものがあれば買って来ますよ。 花屋 ボクチン応援しちゃおっかな。 男  おまえは? 助手 ずっと喋り続けてくれます。 花屋 壁に向かって(客席側) 探偵 この方角はちょっと… 助手 何か不都合でも? 探偵 壁に耳アリ障子に目アリって言うだろ? 何かこの壁そんな感じがする。 男  普通の壁だけど? 探偵 いや、すっげえ見られてる気がする。 助手 気のせいじゃないです。 探偵 じゃあなっちゃん、そっちに向かってすっげえ恥ずかしいポーズとってみてよ。 助手 何馬鹿なこと言ってるんですか、セクハラで訴えますよ。畑中さんも何見てんですか! とっとと書いてくださいよ! 男  とっととってそんな簡単に。 助手 頑張ってくださいよ、じゃあコーヒー入れてきますね。   それぞれがいっせいに動き出す。   書き始める男。給湯室に向かう助手。踊りだす花屋。 探偵 かくして畑中は小説を書き始めました。    人間の取り入れる情報の八割は視覚からだと言われています。    はじめはたちの悪い冗談のような藤本やよいの存在も、    この目で見た今となっては信じないわけにはいかないものとなっていました。    そして、その彼女は、文字通り命をかけて小説を生み出そうとしていました。    文学になんてなじみのないわたしから見ればなんと馬鹿げた事だと思いますが、    当人にとっては何より大切なのでしょう。    他人から見れば何の事はないものでも、当人にとってはかけがえのないものだとという事は良くあります。    自分がえさをあげてた野良猫を探して欲しいと言う仕事もありました。    だったらはじめから飼えっちゅうの。という心の叫びはしまっておいて、少し依頼料を割り増ししておきました。    観たい演劇のチケットを取ってくれという仕事もありました。    何が楽しくて一時間から二時間もそんな硬いイスに座ってなきゃいけないのか。そう、あなたたちのことです。    わたしなんて、家でDVD見てた方がずっと良いと思っちゃうんですが、そういうのは当人にしか分からない良さってのがあるんでしょう。    そして、今の畑中にとっては、小説を書くということが何よりかけがえのないものでした。    藤本やよいが小説を書くのと同じく、かけがえのないものでした。    畑中が小説を書いている間、なっっちゃんは三回コーヒーを入れ、一回軽くつまめるものを買いにコンビにまで走りました。    そして、あれ(花屋)は、飽きもせずずっと踊っていました。垂れ流しです。 花屋 それ言ったらちみだってずっと喋ってるじゃないでつか。 探偵 (花屋を見ながら)繰り返し言いますが、人間の取り入れる情報の八割は視覚からだと言われています。 花屋 何。ボクチンの顔に何かついてる? 探偵 うん、マツコデラックスが。 花屋 ええ? 探偵 ね?(客にむかって) 花屋 どこ? マツコどこ? 探偵 眉毛の上に正座してる。 花屋 ええ!? デラックスじゃない。 探偵 ちょっと待って、とってあげるから。 花屋 つぶさないようにね。毒舌な人は打たれ弱いって言うから。 探偵 分かってるよ。なんて言ってぐちゃー! 花屋 あああ! マツコが、マツコが! 探偵 そうです。みなさんもお察しの通り、畑中が小説を書いている間、わたしたちは暇なのです。 助手 あたしは暇じゃないですけど? 探偵 畑中以外のわたしたちは暇なのです。 助手 だから、 探偵 そうやって、だらっとした非日常は過ぎていきました。    だらっとした幸福な日常へ向かって、その時は過ぎていきました。    毎日が退屈だと言うのは、きっとそれなりに満たされていると言うことなのでしょう。    毎日が刺激的だというのも、きっとそれなりに満たされていると言うことなのでしょう。    どちらにしても、わたしたちは満たされていると言うことなのでしょう。 男  いつからおまえは詩人になったんだ? 探偵 こうな、壁と向き合ってると、自分と向き合ってる気分になるんだよ。 男  んで、おまえはどちらにしても満たされてるんだ。 探偵 そういうおまえはどうなんだよ? 男  小説を書いていても満たされるけど、書かないでも満たされるよ。    だから困ってるんだ。 探偵 どちらにしても満たされてるんだ、贅沢言っちゃいけない。 男  贅沢ついでにもう一ついいかな。 探偵 どうした? 男  ここらで一息入れたいんだけど。   途端に詩的な雰囲気から現実の世界へ戻る。 探偵 よーし、休憩休憩。もう喋り通しで疲れちゃったよ。 助手 じゃあ、コーヒーでも入れてきましょうか? 男  ちょっと待って。これからの事について話しておきたいんだけど。 探偵 どした? 男  まず、藤本やよいの手が加わったけど、この小説の続きを考えてみたんだ。    たぶん、俺の考えるあらすじと藤本やよいの考えるあらすじってのはそんなに差が無いはずだからね。 探偵 どういうこと? 男  そりゃ、俺が考えた人物の考えることはおのずと似てくるだろうよ。 助手 それで、続きというのは? 男  神様の言葉を受けて、藤本やよいのしたことは、神様に手紙を書くことだった。いや、それは手紙というよりは遺書といったほうがいいだろうか。 探偵 それって 男  わたしの言葉が腐っていくのが分かる、だからそこに種を植えよう。    そして、彼女は羨ましいとまで言ってくれた神様の小説を完成させることにしたんだ。    彼女は気づいてしまったんだよ。自分は神様の小説の登場人物に過ぎないってことを。 花屋 あらま、そういう風にしちゃう? 男  それから、彼女は三日三晩寝ずに神様の小説を書いた。    そして書いてしまったんだ、彼女が薬を飲んで自殺するという結末まで。    そして、彼女はその結末に違わずに薬を飲んで。 探偵 で、それをどうこうするつもりなんだろ? 男  どうこうするつもりなんだよ。 助手 どうこうするつもりなんですか? 男  とりあえず、この小説に俺たちを登場させてみたんだ。    まず、冴えないもの書きとして俺。同じく冴えない無精ヒゲの探偵。 探偵 誰が冴えないって、どこが冴えないって? 助手 見た目じゃないですか? 男  それと有能でチャーミングな助手。 助手 よっしゃあ! 探偵 それチャーミング? 助手 やった。 探偵 やり直さなくても。 男  そして、何か。 花屋 え? 何かって、ボクチン何か? 男  何かそれ的な何か。 花屋 もっと何か何かしらの何か無いわけ? 助手 変態とか。 花屋 そう変態とか。おい! 男  じゃあ変態。 花屋 ただの変態じゃ見も蓋もなさ過ぎるじゃないですか。    小説家ならもっと気の利いた言葉でも使ったらどうなのです。 男  じゃあ、大変な変態。 花屋 うん、ボクチン大変。おい! 男  キリがないから先進めるけどいい? 助手 どうぞ。 花屋 うわ、一分の隙もない進行。 男  んで、みんなには藤本やよいの邪魔をしてもらいたいんだ。 探偵 邪魔ってのは具体的にはどういうこと? 男  例えば、通りすがりの変態にバラの花束もってプロポーズされるとか。 探偵 ちょっとやってみ? 花屋 どうもー、花本ハナオどえす。噛みかけのガムあげるから結婚してちょ。 助手 却下ですね。 探偵 却下だな。 男  うん、ばっちり。 三人 え? 男  そうして藤本やよいと大変な変態は幸せにすごしましたとさ。めでたしめでたし。 探偵 投げやるなよ。 男  まあ、何とかやるよ。 探偵 おまえがそう言うならいいんだけど。 男  実はこんなものも用意してたりするし(と、婚姻届を出す) 助手 婚姻届? 花屋 ボクチンの名前が書いてるじゃない。 探偵 いいのか? おまえのヨメだろ? 男  茶化すなよ。 探偵 まったくいつの間に用意してたんだか 男  原稿用紙の中から取り出してみたんだよ。 探偵 言うようになったじゃん。 助手 こんなんで上手くいくんですか? 探偵 なっちゃん、探偵と言うのはあらゆる可能性を否定しないもんだよ? 助手 どこへ行くんですか? 探偵 藤本やよいの様子でも見てこようと思ってね。な? 花屋 ボクチンも? 探偵 プロポーズする人間がいるだろうが。 助手 でもどこにいるのか分かってるんですか? 探偵 分かってるよ。ちゃんとココに書いてある。(と、手紙) 助手 そっか。もうここは大正時代って事ですか。 探偵 そゆこと。 助手 凄い、所長が初めて探偵らしく見えました。 探偵 何か引っかかる言い方じゃない? 助手 はいはい、あとは有能でチャーミングな助手に任せて行って来てください。 花屋 どうも、花本ハナオどえす。ボクのまゆげが肩まで伸びたら結婚してちょ。 探偵 気の遠くなる話だな。   探偵と花屋出て行く。   残される男と助手。 助手 ホントに行っちゃいましたね。大丈夫ですか? あんなので。    どえす。結婚してちょ。はい、よろこんで。めでたしめでたし。    ない。絶対とは言えないけど多分ない。ないですよやっぱり。 男  うん。 助手 畑中さん? 男  うん? 助手 疲れてるんじゃないんですか? コーヒーでも入れてきましょうか? 男  いや、大丈夫。ありがとう。 助手 本当に大丈夫なんですか? 男  大丈夫大丈夫、ほらこの通りピンピンしてる。 助手 じゃなくって、小説の事です。こうして二人は幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしって。 男  おとぎ話なんかじゃそれで十分だと思うけど? 助手 これ、おとぎ話じゃないでしょう。 男  いいのいいの、めでたしめでたしで。王子様と結婚して幸せに暮らしました。それで十分じゃない。    誰もこの王子様が凄い性癖の持ち主だとかそういうのはない事になってるじゃない。 助手 何ですか、凄い性癖って。 男  そりゃここでは到底言えないような 助手 こんなんで本当に大丈夫なんですか? 男  こう見えても命かけてやってますから。 藤本 命かけてるとか簡単に言ってもらっては困ります。   入り口には藤本やよいがいる。   警戒する二人。 藤本 ようこそ。 助手 ようこそってのはこっちの台詞だと思うんだけど? 藤本 わたしの物語の中に来ていただいたんですから、ようこそというのが普通だと思いますが? 助手 それで、何しに来たって? 藤本 折角ですから、挨拶に。それから少し釘を刺しに。 男  余計なことはするなって? 藤本 もうこのお話はあなたの手から離れていますから。 男  だからこうやって手繰り寄せてるんじゃないか。 助手 著作権だってまだまだ生きてるんだからね。 藤本 邪魔しないでください。 男  ちゃんとみんなひっくるめてハッピーエンドにしてみせるさ。 助手 めでたしめでたしで? 藤本 そんな間に合わせの結末に何の力があるって言うんですか。 男  間に合わせとはずいぶんだね。 助手 そうよ、急造品って言ってもらいたいな。 男  それもずいぶんだけど。 藤本 何をしても無駄ですよ。いったん手を離れた物語がどうしようもないことくらい、書き手のあなたなら分かることでしょう。 男  書き手だから分からないんだよ。 藤本 何を言っても無駄って事ですか。 男  何を言っても無駄って事だよ。 助手 そういうことだから、とっとと引き取って頂戴。 藤本 (笑う) 助手 何がおかしいっての。 藤本 だって、滑稽ですから。 助手 あんたのためにしてることじゃない。 藤本 そう言えることが滑稽だと言ってるんですよ。 助手 何かムカつく。畑中さん。 男  何? 助手 この際だから王子様は凄い性癖持ってましたって事にしちゃって! 男  はい? 助手 そりゃここでは到底言えないようなの出しちゃって! 男  いいの? 助手 いいの!   男、しぶしぶながら書き始める。 助手 いい? あんたはこれから凄い性癖の王子様と結婚しちゃうんだからね。 藤本 それを決めるのはあなた方じゃないでしょう。 助手 決まってるの。誰がなんと言おうと決まってるの。さあ、畑中さん。王子様出しちゃって! 男  んな無茶な! 助手 原稿用紙の中から出せば何とかなるんでしょう。 男  あれは洒落の一種でね。 助手 ちょっと待ってなさいね。今から目にもの見せてやるから。鼻で笑ってられるのも今のうちだからね。 藤本 そう言ってあのお花屋さんが出てくるのでしょう? 男  さすが神様。 助手 何先越されてるんですか! きりきり書いてください。 男  そうは言ってもね。 花屋 (出てきて)呼ばれて飛び出てジャジャジャ…… 藤本 退場していただきましょう。 花屋 なんてむごい。 男  変わりに 藤本 探偵さんにきていただくわけですか。 探偵 真実はいつもひとつ! 藤本 二つ目の真実を探してきましょう。 探偵 はーい 助手 ぜんぜん駄目じゃないですか。 男  無茶言わないでよ、ブランクどんだけあると思ってんの 藤本 そうですよ、無理なんてせずに黙ってみていてください。 男  それはちょっと癪だな。 藤本 今までほうっておいて、身勝手だと思いませんか。 男  身勝手じゃなきゃお話なんて書いてないよ。 助手 じゃあ、こういうのはどうですか?   助手、銃を構えている。 男  ちょっと! 助手 なになに、神様なんですから殺したって死にはしませんよ。 藤本 よくわかってらっしゃる。 助手 バーン!   藤本、何らかの方法で防ぐ。そして、去る。   銃を構えたままの助手。そこへ、探偵と花屋がやってくる。 助手 ばん。 花屋 うおう! 探偵 何物騒なもん構えてるの。どっから引っ張り出してきたのよ。 助手 原稿用紙から? 探偵 何馬鹿なこと言って。 助手 ずいぶんとお早いご帰宅ですね。 探偵 そりゃそこのここだからね。 花屋 僕チンの眉毛が肩まで伸びてなかったからね。 探偵 そんでもって、進んでる? そっちのほうは 男  予定不調和な感じで。 助手 また藤本さんです。 探偵 こりゃ下手に動くよりあちらさんが来るほうを待ったほうが早いかな? 助手 相手があることですからなんとも言えませんが、 探偵 来てもらうことはできるの? 男  多分、それなりには。 探偵 さすが、元、神様だ。 男  茶化すなよ。 花屋 (茶化す) 探偵 オーケイ、出来るんならちゃっちゃと来てもらおう。 助手 何か考えでもあるんですか? 探偵 浅はかではあるけどね。つまりは、あちらさんが来てくれれば物語が進む。それだけ、 男  終わりに近づくってわけか。 助手 そんなにうまくいきますか? 探偵 だから浅はかだって言ったでしょ? 花屋 浅はかといえばピンクのカーネーションの花言葉ナリね。 助手 そうなの? 花屋 すぐに信じるところが浅はかナリね。 助手 (パンチ) 男  少し、休んでいいか? 探偵 そりゃ、少しくらいならって言いたいところだが、相手がある事だからな。 男  できれば一人で。 探偵 俺の話、聞いてる? 男  できれば。 花屋 オーケイ、わかった。 探偵 何で、お前が仕切る。 助手 そういうことなら仕方ありませんね。 探偵 なっちゃんだからいいって事でもないんだよ? 助手 じゃあ、どうぞ。 探偵 仕方ないな、お前のペースでやればいいさ。 男  ありがとう。 探偵 ということだ、ほらほら、なっちゃんは買出し。花屋は、花占いでもしてろ。 花屋 好き、嫌い、大嫌い、大嫌い、大好き ah〜   助手、花屋、去る。 探偵 どした? 男  何が? 探偵 何か話でもあるのか? 男  ばれるか 探偵 そりゃ、ばれるよー。ばればれだよー。何年付き合いあると思ってるの。 男  十二年と三ヶ月。 探偵 そんなんなる? 男  そんなんなるな。 探偵 それで? 男  ありがとう。 探偵 おいおい、お前が言いたいのは礼じゃないだろう。 男  いや、今じゃないと言えないんだ。 探偵 何するつもりだ。 男  お、さすが探偵 探偵 茶化すな。 男  なんかさ、物語とか書いてるとな、いろんな不条理を書きたくなってしまうんだよ。それが必要不必要に 関わらず。もちろん、必要だと思って書いていたりするんだけどな。 探偵 それだけ現実が不条理にあふれているって事だろう? 男  そんな風に割り切れてくれればいいけど。 探偵 不条理を不条理と叫んだって仕方ないだろう。 男  ずいぶんドライだな。 探偵 こういう仕事やってたら、幾分かドライにもなるさ。 男  物書きは、ウェットなほうがやりやすいんだ。 探偵 そうか、それで、お前は何をするつもりだ。 男  せっかく誤魔化したんだからそのまま誤魔化されとけよ。 探偵 残念だけど、始めっから誤魔化されてない。 男  次で終わりにするよ。ありがとう。 探偵 だから 男  だから一人にしてくれないか。   男、作品に向かう。 探偵 その決意の言葉を最後に、彼は物語を書きました。いくつもいくつも物語を書き続けました。    物語を書き続ける彼は間違いなく幸福でした、そして絶望していました。    私は緩やかに絶望していく彼を見ていくことしか出来ませんでした。 結局私は、最初から最後までただ見ていることしか出来ませんでした。    ……なにやってる?   花屋と助手、顔をのぞかせている。 助手 見てるだけー。 花屋 見てるだけー。 探偵 なっちゃん、買出しは? 助手 ちゃんと言われた物買ってますよ。 探偵 花屋、花占いは? 花屋 38連敗中でござる。 助手 コーヒーでも入れましょうか。 探偵 ありがとう。 花屋 たっぷり苦味の利いたエスプレッソを頼むよ。 助手 正露丸入れとく。 探偵 それで、これからの展開ってのはどうなる予定? 男  もうじき藤本やよいがこの事務所に来る。はずだ。 探偵 「はずだ」ってずいぶん歯切れの悪い答えだな。 男  相手があることだからな。 花屋 (原稿を見ながら)でも、利き腕の一本でもへし折るってのはなかなかの力技でござるな。 探偵 おい 男  相手があることだ、そのとおりには行かんよ。 花屋 「そのとおりには行かない」はアメリカンパンジーの花言葉なりな。 助手 また嘘ばっかり 花屋 そう、本当は真っ赤な嘘が花言葉なり。 助手 そうなんだ。 花屋 うっそぴょーん 助手 (一撃で花屋を黙らす) 探偵 そのとおりには行かんゆうても…… 男  ある程度まで書けたからみんなには時間稼ぎをしてほしい。手段は任せるよ。    ただ、相手があることだからな。 探偵 こちらの思うとおりには行かない? 助手 そりゃ、相手は神様ですから。 探偵 そっか、神様にご足労願えただけでも御の字としないとか。 男  そういうこと。 助手 ま、コーヒーでも飲んでください。 藤本 ありがとうございます。遠慮なくいただきますね。   藤本、出てくる。身構える、四人。 助手 じゃあ、こちらなんてどうですか? 正露丸入りですけど。 男  (探偵に)後、たのむよ。 探偵 頼まれたよ。さて、藤本やよいさん。 藤本 何でしょう。 探偵 ぶしつけなお願いで申し訳ありませんが、利き腕を一本いただくわけにはいかないでしょうか? 助手 そんなおとなしくやられる相手じゃないと思いますが? 探偵 んじゃ、行け花屋! 花屋 ひゃほう! なんかポケモンになった気分。   花屋、藤本と対峙する。 花屋 ぐへへへ、オジョウチャンおとなしく利き腕渡しな。そうすれば痛い目に 藤本 お花屋さん、利き腕は? 花屋 右腕だが? 藤本 はい。   と、花屋の手を折る。 花屋 ぐひぃ! 手がー。手がー。 助手 うるさいなぁ。   と、花屋の手を荒っぽく元通りにする。 探偵 やっぱり一筋縄じゃいかないか。ほら、なっちゃん。 助手 バットなんて何に使うのかと思ったら 探偵 はい、花屋。 花屋 え? ボクチン? 探偵 そりゃ、神様にけんか売るならそれなりに狂ってる奴が適任だろ? 花屋 いや、これ、キャラ作りで 助手 ほらほら行って来る!   花屋、向かっていくがひどい有様でやられる。 花屋 この一連の流れ、いるなりか? 探偵 探偵ってのは現状把握が大事だからね。 花屋 なるほど。 探偵 適当な嘘なんだけどね。 花屋 うそーん 藤本 あなた方は、来られないんですか? 助手 所長、ご指名ですよ。 探偵 なっちゃんの事違う? 藤本 何なら二人でもよろしいですよ? 助手 大サービスですね。 探偵 じゃあ、そういうことなら遠慮なく。   探偵、転がるバットを拾って藤本に殴りかかる。   ことごとく避ける藤本。   助手は拳銃を構え、狙いを定める。   探偵が斜線から外れた瞬間を狙って、二三発打ち込むが藤本はそれをすべて手で受ける。 探偵 さすが神様。 藤本 お褒めいただいて光栄です。 探偵 その神様にちょっとだけお願いがあるんだけどさ。    そちらさんがお話書くのは書くで良いとして、自殺するのだけやめてくれると助かるんだけど。 藤本 それはできません。 助手 どうして? 探偵 お話を書くのが目的ならそれで良いと思うんだけどな。 藤本 それは出来ません。 花屋 大事なことなので二回言ったなりか? 探偵 べつに減るもんじゃないしいいと思うんだけど? 藤本 減りますよ。 助手 何が減るってのよ。 藤本 この物語の価値が。 助手 んなもんあってないようなもんでしょうが。 藤本 わたしが、自殺するまでが、この物語だから。    わたしが、大好きなこの物語を、わたしが終わらせる。    あの人のように、放ってはおけないから。せめて、わたしの言葉が腐ってしまう前に。 探偵 すげーな、熱烈なファンだぞ。 男  ありがたいね。 探偵 書き終えたのか? 男  おかげさまでな。でも、俺の物語の一番のファンは俺じゃなきゃいやなんだ。 藤本 放っておいたくせに。 男  俺の言葉が腐ってしまったから。腐った言葉でどう書けばいいか分からなかったから。 藤本 だったら、わたしに任せてくれればいいのです。 男  俺だって何もかも物分り良く年老いたくは無いんだよ。なっちゃん。 助手 はい? 男  それ、弾、残ってる? 助手 三発です。 男  貸してくれる?   男、助手から拳銃を受け取り、構える。 男  藤本やよい。俺は、あなたがうらやましかったよ。書けるあなたが、書きたいあなたが。 藤本 それは、わたしもですよ。わたしも、あなたが羨ましかった。    書けないあなたが、書かなくてよくなったあなたが   男、拳銃を一発。あらぬ方向へ打つ。 男  ありがとう。終わらせることが出来そうだよ。 藤本 心配しなくても大丈夫です。この物語は、わたしが最後まで面倒見ますから。 男  あなたがいなかったら、あなたがこうして現われなかったら、きっと俺は書こうともしなかった。 藤本 それは、書く必要が無かったからでしょう。それはそれで良いことでしょう。 助手 どういうこと? 藤本 物書きは、心にしこりがあるほうがやりやすいってことです。    人は、わだかまりやしこりが無いほうが生き易いでしょう? 助手 それでも、あなたは書いていくことが幸福なんでしょう? 藤本 それはどうでしょう。 男  幸福だよ。間違いなく。 藤本 自信たっぷりに仰って、あなたに何が分かるという 男  数年ぶりに物語を書いてよく分かったよ。俺は、俺の物語が大好きだ。    空想の中でいろんな材料をまぜこちゃにして、遊ぶのは面白かった。    あなたから手紙をもらわなければ、気づかなかったよ。 藤本 でも、書かなくても十分幸福だということも分かったのでしょう? 男  良く分かったよ。ありがとう。 藤本 どういたしまして。   男、拳銃を一発。あらぬ方向へ撃つ。そして、その拳銃を自分に向ける。 探偵 おい! 藤本 どういうつもりですか。 男  どういうつもりも何も。 探偵 なんで渡しちゃったのよ。 助手 貸してって言われたら貸しますよ。 男  木下、ありがとな。 探偵 なんでそう極端な方向へいっちゃうかな。 男  やっぱり後始末は自分でつけなくちゃと思ってさ。 藤本 なんて馬鹿な真似を 男  それあなたに言われたくないな。それじゃ、 探偵 そう言って畑中は引き金を引きました。    「銃が登場すればそれは発射されなければならない」というのは有名なドラマツルギーですが、    物語の大筋にはまったく関係ないところで何発も発射されているのだから、何もここでとわたしは思いました。しかし   男、拳銃の引き金を引く、何度も引くが間違いなく発射されない。 男  なんで、なんでだ。 花屋 それはね。拙者がお話書き換えちゃったからなりよ。 探偵 花屋。 花屋 もうね、簡単だったよ。3発入ってるはずの弾を2発にしちゃうだけでよかったんだから。 男  どうしてそんなことを。 花屋 ありていに言えば、しっくりこなかったから? 探偵 何が 花屋 メッセージが 探偵 メッセージ? 助手 わたしの言葉が腐っていくのが分かる。だからそこに種を 花屋 そう、ザッツライト。終幕にふさわしいのは彼女なんだよ。彼女じゃなきゃ駄目なんだ。 探偵 意味分からん。 花屋 んだんだ、解釈なんて人それぞれ。分からんなら分からんでばっさりきっちゃうのもあながち悪いことじゃない。でもね、ボクチンはそれじゃ我慢できないんだよ。   花屋、銃を取り出す。 花屋 ちゃーんと腐って頂戴ね。種はしっかり植えてあげるから。 藤本 自分の手で終わらせることが出来ないのは残念ですが、お願いいます。 男  何を馬鹿な真似を 藤本 さっきのわたしと同じことを言ってますね。 男  当たり前だろ。あなたは俺のお話に出てくるんだから。 探偵 どうして 花屋 おっと動かないで頂戴ね。どうしてかって聞かれたらおさまりが悪いから。 探偵 おさまり? 花屋 あーそうそう、リンドウの花言葉、知ってるナリか? 助手 何よ。 花屋 あるべき事をあるべきように、正しく。 助手 嘘なんでしょ。 花屋 嘘ナリ!   暗転。のち、銃声。   暗闇の中、探偵の姿が浮かび上がる。 探偵 そうして、彼女はきらきらと光の粒になって消えていきました。    それはまるでタンポポの綿毛のようだと陳腐ながら思いました。    そのきらきらとした彼女の種はどこまで飛んで、どこに植わっていくのか。    きっとそれはとある学生街の片隅に、きっとそれはとある高校の体育館の舞台裏に    そんな空想をしている間に、花屋は消えていました。いなくなってというよりも文字通り「消えていました」    おそらくはそういう物語として、あるべきように正しくおさまったのでしょう。    そして、わたしたちにもあるべき日常が、だらっとした幸せがやってくるのでした。   そして日常。   探偵と助手、そして男。 助手 それで、墓参りに行くわけですか。 男  そりゃ、墓があるんだから一応生みの親だし。 探偵 まー、あの花屋さんもこんなとこまで書き加えなくても 男  それはどうかなー。 探偵 どういうことだ? 男  始めっから藤本やよいのストーリー通りってこともあるって事。 助手 全部手のひらで踊らされてたって事? 男  それは藤本やよいにしかわからない。 探偵 ついでだから、聞いてくれば? 男  原稿用紙から引っ張り出して? 探偵 馬鹿なこと言ってないで、早く行ってこい。 男  何だよ冷たいな 助手 でも、お花が枯れないうちに行ったほうがいいんじゃないですか? それ、何ていう花ですか? 男  シオンだってさ。 探偵 花屋に聞いたんだろう。 男  花屋に聞いたんだよ。ついでに、花言葉も。 助手 花言葉、何なんです? 男  「あるべき事をあるべきように正しく」 探偵 嘘なんだろ。本当は何なんだよ。 男  「あなたのことを忘れない」   男、少し照れくさそうに出て行く。   探偵、助手いつもの日常が戻ってくる。   出て行った男の背中を藤本やよいが見ている。 終わり